顧客の心理(2):「ストーリ性」による納得

注文住宅では顧客の多くは平屋建てと二階建てどちらがよいかと悩むことが多いようです。こんな場合、一般的な比較でいえばコストパフォーマンスでは2階建てとなり、平屋建てを選択する率は20%以下となっています。このような明確な形で比較表で対比するような方法は有効なのでしょうか。

すでに内容も多少知っている場合、そうした比較による整理は有効です。しかし、それは比較する対象の中で利点を把握するうえで分かりやすいだけです。すでにわかっている事を位置づけ直したということは、構造的な面を理解するうえでよいでしょう。

しかし、そこには構造が視えてもストーリ性が欠けているため心を惹きつけるようなものがありません。その家に住んでいる自分のイメージがわき、家族と一緒に楽しむような場面が描けるかどうか。こうしたイメージは人生のストーリ性がなければ、購入動機が生まれてきません。

つまり、平屋建ての場合であれば、自然豊かな庭に囲まれた中でリビングと庭が一体になっているような景色がみえる。そこで子どもと一緒にガーディングをして冗談を言い合っているといった想像できることです。こうした物語的なイメージは何かドラマや映画の印象にも関連していたりしますが、それは自分を主人公に見立てるような物語としての「ストーリ性」を求めているからです。

「ストーリ性」に関しては、認知心理学者のジョローム・ブルーナ(ハーバード大学)が80年代から「ナラティブ」の概念していたものです。それを構成するものとして重要なのは登場するキャラクターの意味づけです。そのキャラクターの行動がストーリ性を形にしていくからです。そうなると、どんなキャラクターを設定するのか、それは架空のものか現実の人物なのか、など多様な形が考えられます。例えば、平屋建てが二階建てと比べてどのような点がよいかを説明する場合を検討してみましょう。

「IT企業に勤める夫の田中太郎さんとアパレル企業の営業職の花子さんは殺伐とした山の手の都心生活に疲れ、今は夫婦で世田谷区の公園や林の多い地にマンション住まいしています。子どもも4歳になり、夫婦交代で保育園に連れていく以外は手間も少し減ってきました。夫婦は共働きなのでかなり貯金もできて何度も話し合った結果、まず新築の家を持ちたいということからハウスメーカを探しています。ただし、注文住宅がよいのか、建売り住宅がよいのか迷っているところです。」

こうしたストーリ性は、顧客が読んでも共感しやすいものですが、とくに子どもがいるケースでは具体的な行動に共感を得やすくなります。子育ての大変さはあるとしても、気持ち的には余裕ができ自分達の住まいを根本から見直す状況がわかるからです。

キャラクターは夫がIT業界の人物であることから、ネット検察など情報収集には強いと考えられ、また妻のほうも営業職であれば多面的に専門雑誌など調べるとみなせます。互いによく相談し合える夫婦であることから、両者がうまく相談し合える補助的な解説集や相談シートなど提供するのも営業的には重要なのです。

顧客の心理(1):ピークエンド効果

顧客満足度のCSの指標は一般によく使われますが、成長や利益とのつながりが曖昧な形で目的化してしまっているという問題点があります。たとえば満足している状態を、そのタイミングで聞くのと後で想い出して記憶した事を聞くのとでは結果が大きく変わってくるのです。

そのため、満足した状態がいつなのかを本来は明示しておく必要があるわけですが、それも難しい場合が現実にはあります。その意味では、幸福度も同じことであり、実際に23年度6月時点でコロナ禍から脱しつつあるような状況と比べると、病気率が同じであっても国民全体の幸福度は高くなっているという調査結果も理解できるというわけです。

とくに「ピークエンド効果」として知られる例などは、一般には均等に幸せ感が続いていないため、その盛り上がった時点前後のどこで終わったかが判断に影響を与えるからです。それゆえに、現在は幸福感を短期的なもの(happiness)と長期的なもの(well being)に分けて説明するようになっています。長期的な”ウェルビーング”はポジティブ心理学という学問においてもキーワードとなり、「持続的幸福感」と訳されています。

ハピネスはあくまで何か具体的な行動の結果として現れる瞬間的な感情が伴うものです。スポーツやゲームで勝った瞬間など典型的なものです。心理学では実際にこれを直接測るようなことはせず、それの現れとなる複数の質問項目を作り、組み合わせた形で指標の値としているからです。そもそも”単体”で働くような心理は人間の場合はありません。

何かの感情や思考が複雑に絡み合って外部に現れ行動が引き起こされるからです。そのような概念や用語を一般には「構成概念」とよんでいます。それは複数の具体的なサブ概念が集まったものであり、抽象的なレベルが高くなるほど、構成要素も増えていくことになります。

自己意識(5):“日常”を知る認知心理学の意義

 私たちは日常の中で行動し思考し感じたりしていますが、この心の動きは常に一体となる”状況”に埋め込まれたものだといえます。この考え方は2000年以降の認知心理学が状況心理学として説いてきた内容です。ただし、同じ状況心理学の中でも3つに大きく分かれた学問分野が生まれてきています。

1:状況を現象学的な視点で再構成されるものとみなす現象学的アプローチ
2:状況をモノとの生態学的な相互作用とみなす生態学的アプローチ
3:状況をコミュニケーションの言語分析を主とするナラティブ(談話)的アプローチ

1はガーフィンケルらの社会構成主義ともいわれる立場であり、2は認知科学の正統派ともいえるD・ノーマン、3はJ・ブルーナー以降のストーリの認知プロセスに注目する立場だといえるでしょう。

こうした3つの立場は相互に補完し合えるものと考えるわけですが、必ずしも学会などで相互理解が進んできたとはいえません。それは基盤とする学問の原理・方法論が異なるという理由もありますが、何を解決しようとしているかという目的の違いも関係しています。

私の立場はその目的に応じて3つを使いわけており、相互の関連性を把握していく方向を重視しています。そうすることによって、むしろ現実を分析するうえでも、より高いメタ認知や解決の選択肢を豊かに活かすことができるからです。

とりわけ、このコロナ禍の時代になってから”目的”としてきているのは、日常の変化をどう理解し、自己や組織の変革につなげるのかです。その視点からみたときに有効な心理学の方法論とは何かということでしょう。

自己意識(4):自己意識を方向づける「促進的記号」

私たちは状況の中で活動していますが、この具体的な場での行動を制約したり方向づけたりしているものを探る科学が状況認知論や活動理論の課題となっています。その点から心理学を越えて記号論のC・パース、さらにヴェルシナー(Jaan Valsiner)の「促進的記号」という説が注目されます。

記号論は表示される数字から図、絵に関わるような視覚的に理解できるものばかりでなく、心理的なイメージも分析の対象にしています。その視点からすると、心理学と結びつくのは当然だといえます。この場合のイメージや表象の多様性は、人の認知モデルの多様性でもあり、ヴェルシナーは”時間”という概念をそこに持ち込むことで、現在から未来への繋がりを強調しています。

促進的記号とは何か新しい未来へ向けた促進的な働きかけをする記号だというのです。その意味は「ありうる未来を構築するガイドとして機能するもの」だとしています。これは自分に勇気づけするような記号、例えばパワースポット」だったり、「キットカット」のような受験効果をねらったチョコなどを指すものです。それらは特別な当人の想いや経験と結びついた記号であって、他の人には意味のないものかもしれません。だからこそ、体験や価値観のユニークさがそこにあり、なんでもない石でさえも、ある人にとっては人生の形見であったりするのです。

こうした記号の働きをヴェルシナーの促進的記号説として捉えたとすれば、それは時間の変化とともに変わる表象でもあるといえます。時間が経つにつれてポジティブ効果(ネガティブ効果)を持つようになるかどうか、それは当人の人生に意味を与え行動にも大きく影響します。

さらにビジネス心理という視点からみると、理念を文字化した「社是」は促進的記号として機能しているといえます。その他、元気を出すために聴く好みのBGMなども歌詞を越えた記号的な影響を与えます。そして、こうした文化心理学的な記号の分析は、記号の形態の多様性を人への心理的な影響からみることが出発点なっているのです。

自己意識(3):「ドラマの感覚」からつかむ自己理解

  「SUIT」という海外ドラマのシリーズはビジネスの中でいかに心理学を学ぶかというテーマに最適な教材としてお勧めです。このドラマではビジネスを人の善意と悪意の狭間の中で、また人生の葛藤の中で”自己概念”(アイデンティティ)をどう獲得していくかを教えてくれます。

主人公は天才的な記憶力を活かして弁護士のコンサル会社に勤めている若者。彼には直接の上司と恋人しか知らない秘密があり、それを知られると弁護士資格が剥奪される以上に刑務所にいく結果になるという設定。ハーバード大学卒だけが一人前とみなされる所属コンサル会社では、その嘘がいつ公の下にさらされるか気が気でない毎日という状況です。そんな仕事の中で上司の背中をみながらプロとは何か、超一流とは何か、正義とは何か、法とは何か、など重要な価値観を学んでいく姿に共感するわけです。

このドラマには秀でた能力の持ち主が陥る仕事上の落し穴や他者と協力していく難しさ、信頼性の意味など多面的な人間の在り方を考えさせるテーマ性があります。そのような「ドラマの感覚」こそ、すでに80年代に認知心理学者ジェローム・ブルーナの「ナラティブ理論」で強調したものです。

「ドラマの感覚」(Sense of drama)は葛藤や矛盾がキーとなるものですが、そこに矛盾を乗り越えていく次のステップへの鍵もあることに注目しておきたいところです。このステップは必然的な場を生み出し、飛躍的な成長や発達をもたらすものだからです。

私たちが生きる世界は矛盾と葛藤に満ちています。それを個人として解決しようとしても限界があります。その限界を超えて成功していくためには個人ではなく、他者との協力や組織といった武器が必要となってきます。そこにこそ当人の”人間性”と”知性”の統合が問われる生の人間行動のおもしろさやおかしさが現れてきます。

ただし、”人間性”といったものは見方によって様々ですが、だからといって漠然としているものではなく、その”問い”を探すのがこのドラマの面白さでもあるともいえます。

また、このドラマでは自分が視た”映画”のキャラクターの”語り”をジョークで使う場面が多くありますが、これがユニークなのは真似をする場面が頻繁に出てくるのです。そこにあるこだわりが、そのドラマの監督らしいところともいえます。

ふざけているようにも一見みえるのですが、は「ナラティブ理論」からすると非常に重要なコミュニケーションや学びとも考えられます。とくに”理念”などの価値観を習得していくうえでは、これは不可欠なドラマの感覚を含んだ即興演劇の「インプロ」に近い効果を持つものだからです。

 ビジネスを成功させるものは「問い」の質ではないか、そんな想いをさせてくれるのがこのドラマです。シーズン2の後半で上司の信頼を失い途方に暮れる場面が続きますが、そこには自分がどういう選択をすべきか、その選択の基準を間違うときが”問い”を間違えるときでもあるのです。

私たちの日常は人の信頼に上に成り立つものですが、以外に相手を分かったつもりでいたりします。そのため、良かれと思い相手のためにした行動であったものが、後になってから逆に相手を傷つける原因になってしまいます。このドラマでは、そうした人間関係のズレとなる場面が至るところに出てきます。それが当初は小さな悪戯や相手のためを想っての隠しごとであったりするような“善意”でやってしまいます。そこがドラマの感覚を呼び起こす“矛盾”なのですが、その善意の結果がどうなるか予測がつかないために当人はその影響を見過ごしてしまいます。ここが間違った行動につながる”地雷”でもあるわけですが、一度その地雷を踏んでしまうと取り返すのはとても困難なのです。

そうした人生の困難を乗り越えていくにはどうするのか、そうした問いを常に視聴する側に投げかけながら、ドラマはドラスティックに展開していくというわけです。