リーダーシップの心理(5):任せる勇気編

「役割意識」と成長マインドの関係性

自分が経営管理者として向いていないと思う人は、いつまでたっても管理する仕事への動機付けができません。そのために、管理者研修を同じように受けてみても一方は自分の管理のしかたを振返りながら改善をめざそうとするのに対して、他方はまったく変化を受け入れることもなく現状肯定のままで済ましてしまいます。

その違いの心理的な要因には、ポジティブ心理が働いているというよりも現状維持の”自分はこういうものだ”という役割の固定化があります。逆に言えば、その役割意識を変えられるなら、自分らしさの変化を受け入れて新しい役に自分を近づける努力をするようになります。

当初はその役が演技的なものであるかもしれません。学卒の新人教員は学校という場において、かつて生徒という役を演じていた時から一変して教員という役を演じる必要に迫られます。知識としての教育ノウハウもそれほどないわけですが、それでも生徒との関係では先生として振るまう必要があり、その役にふさわしい行動をします。

行動をしているうちに、それがなじんで教員らしさを身につけ、その結果として教員の成長マインドを獲得していくというプロセスをみることができると考えられるのです。

そこには教育の場が持つ生徒と先生の関係性の文化、仕組みとルールがそれらの基盤ともなっています。その基盤のうえに意識としての役割が成り立ち、その役割意識があることによって、自分らしさも「アイデンティティ」につながっていくとみなせます。

成長マインドはこのようなアイデンティティの発達過程を含むダイナミックな心理なのです。だとすれば、少し背伸びした「役割意識」が何かを理解することは、とても重要な成功モードの要因だとみなせます。それは具体的には自己管理の在り方とも関連しながら、自分を高めていく土台になっていくものです。

また、こうした変化を重視する成長マインドの見方は、弁証法(※ヘーゲル哲学)の考えとも重なります。それによって自己変革がおこり、新たな学びや人間関係が生まれるからかもしれません。

弁証法というのは、肯定的否定(肯定的ネガティビティ)は否定的なものの中に次の肯定的な発展への契機が隠されている、という発展や進化の認識論です。そこには自然な発展性の流れを捉える科学の視点があり、人が変革をする勇気を与えてくれるものです。

目の前にどんな否定的な出来事があっても、そこに可能性としての発展があるとすることで、成長への手がかりが見つかるのです。現実が多様であり、予測が簡単ではないとしても、大きな流れの中では変化し適応すること、それを科学は証明してきているからです。

リーダーシップの心理(4):任せる勇気編

ポジティブ心理学からみた「成長マインド」の考え方

成長マインドは通常のポジティブ心理学の見方ではこうした限界があるといえますが、それでも全体的な見方は幸福優位の立場が望ましいということです。その根拠は、長期的には人が他者と協力していくうえで成功や失敗を通じて怒りだけではなく、仲間への共感や勝利への確信などポジティブな感情要因が生まれてくることで、変革が維持向上されてくるからです。

そこには感情としてのポジティブ優位性は明らかなものであり、誰もがその感情の中でやる気を高め向上心を持つようになってくるからです。
そもそも向上したいという成長マインドの欲求は、誰かに認めてもらいたいという「承認欲求」と一体となっていると考えられるのです。社会的な向上心は、自己承認的な欲求でもあり、かつ他者承認的な欲求と裏腹でもあるのです。スポーツのような身体技能を競う世界ではそれがオリンピックのようなものほど、自己の成長マインドと社会から認められる承認欲求の両面性が際立ってきます。

こうした見方からすると、成長マインドには怒りという飢えの感情はなく、自分本来のポジティブなものへの欲求をベースにするものだとみえるかもしれません。
ビジネスでは営業など顧客へのサービスを軸にするものなら、承認欲求も高いし成果への達成が自己のインセンティブとして見えるものです。

それゆえ、容易に成長への動機づけができるものです。営業の仕事については人間関係を重視する満足志向は意義のあることでしょう。ですが、内勤的な仕事については顧客という存在は漠然としていますので、このような明確性がなく動機も曖昧となってきます。
そこにビジネスとしての成長マインドをどう創るかという難しさがあります。

もし自分の周りの人達をみても成長を感じ取れるようなら、あなた自身も成長への期待や希望をもてるタイプの人に違いありません。このような感覚をここでは「変革可能感」と呼んでおきます。

自分を取り巻く組織や人、そして自分自身が“変革可能”だという感覚であり、未来志向の実践を促す力といえるものです。
変革可能という実感があるためには、これまで自分が経験してきた変革への行動が何らかの形で成功していること。そして、それが現在から将来にかけて継続できている実感を持てることが必要です。そのベースがあってこそ、自己実現への行動が具体的な形になると考えられるからです。

変革という視点からリーダーシップが問われることになります。マネジメントは複雑性への対応であり、リーダーシップは変革がキーとなるものだからです。
つまり、変革はそこに未来への期待や可能性をみるのであって、そのビジョンが不可欠となりますが、マネジメントは他者を目的へと近づける調整力が要であると考えられるのです。

もちろん、こういう言い方もできます。企業のリーダーシップを考えるとき、その会社の社長の“人間力”がなかったから業績が上がらないのだと。人間性や人の“器”ができておらず、社員達の心をつかむ力やリーダーシップがなかったのだと。

このように、個人的な資質として社長の能力の無さをいうことは容易なわけですが、ビジネス心理学では変革を3つの領域に分類して、その変革プロセスに注目しています。とくに人の仕事においては人の変革を問うために、人の活動をどう変革可能なものにしていくかということが問われるのです。

リーダーシップの心理(3):任せる勇気編

「逆転型成長マインド」と「現在型成長マインド」

相手に何事かを任せるには、自分が自律し成長している感覚が問われます。現在の自分が将来に向けても成長できるか、そして成長しているという感覚があるか、この2つのことは成長マインドを決めるものです。
そこで、前者は「希望型成長マインド」(HDM)、後者は「現在型成長マインド」(PDM)とここでは称しておきます。

HDMはビジョンとも関わる内容ですので、社会観など多面的な要因がかかわってきます。他方のPDMでは自己自身の行動レベルでの成功や失敗の経験の評価が関わってくると考えられます。小さな成功が続いていれば成長を実感することになるし、失敗続きであればそうはならないからですが、そこに自己の挑戦度がどれほどかという評価感が関係してくるので注意が必要です。

もし、挑戦度が高いことで失敗を繰り返していても、自己評価は低くならないと考えられ、場合によっては失敗自体を成長の機会ともみることになるのです。
このような否定的経験を乗り越えての肯定的な自己評価こそ「レジリエンス力」のコアになるものだといえるでしょう。私はこれを「逆転型成長マインド」と呼んでおきたいと思います。失敗を逆転させる挑戦心を持つものですが、それは根性や意思力のテーマとも関連するレジリエンス本来の内容です。

レジリエンス概念は抵抗や克服といった反転的な事象を客観的に表す概念ですが、成長マインドの概念はより主観と感情要素が入った心の状態を意味するものです。
科学的な表現としては、いずれも認知、感情、行動要素のそれぞれのバランスも考慮した心的傾向を示す指標が必要となります。成長マインドという概念をレジリエンスに導入することで、より感情要素の実感をベースに当人がそれをどう受容し習得していくか、キャリア発達の中で問題にできるのではないかということが私の問題意識にあるのです。

さらに成長マインドの概念は、キャリアをどう発達的で学習可能なものにしていくかを主体側に即して考えることがしやすくなります。レジリエンスの概念では、どうしても外部からの圧力的なものや対抗する対象が前提で受身的な形になってしまうのです。元来の意味が“抵抗”ですので、それは他者的な存在を敵とみる見方となっているからです。そこには主体としての成長するうえで不可欠な“協力”や“共感”といったポジティブな対象を主体側にすえる発想が抜けているのです。

成長マインドは自己本来の在り方をマインドフルネスの視点も取り入れながら発展させることができます。マインフルな主体側の在り方とは何かと問えば、私は次のように定義しておきたいと思います。

「成功や失敗を主体的受容(ありのままの受け入れ)しながら、未来においては善となることを信じる心の在り様のこと」

人は未来を考えずに入られませんが、どうなるかは予測ができてもそのビジョンへの確信はもてません。ですが、未来をどう評価するかは自分が選択できるものです。
つまり、未来を評価する側の自己の在り様にこそ成長マインドのコアな役割があるのです。

未来がいつまでも不安の対象でしかないのかは、当人の成長マインドに左右されるものです。成長マインドが逆転型であるなら未来は挑戦と希望の対象であり、現在型であるならば過去の経験に依存する不安なものになってくるのです。どちらを選択するかは自己自身の問題であり、自己がどういう学び方をし、そこに新たな何をみるかにかかってくるのではないでしょうか。

リーダーシップの心理(2):任せる勇気編

成長マインドの新しい次元としての「任せる勇気」

「任せる勇気」は人の成長欲求を向上させる力となり、その「成長マインド」を切り開くものです。理由は次の3つ。
1:自己意識の低い次元から他者信頼を入れた他者の成長マインドを考慮できる
2:チームや組織のシステム全体の効果によって自己の弱みを強みにする
3:役割意識を与える効果によって他者は役割に応じた成長の機会を持つ

自己という枠を越えて相手の成長をねがう気持ちは貢献意識にもつながるもので、その結果として幸福感が継続することにもなります。また、チームなど組織的な場においては、メンバー間の役割を適切なものにするよう配慮するようになります。

つまり、任せる勇気があることが結局のところ自分と他者の間の壁を乗り越えていく機会と場を多く産み出していくわけです。あなたがもし相手がこんなことはできないと思っている限りは、相手もあなたに対して信頼をさほどおきません。信頼とは相互作用の産物でもあるからです。
そうした相互作用の事例をあげてみましょう。

私がコンサル会社で上司と仕事をしていたときのことです。上司はクライアントの問題解決をする役割を部下と役割分担していくことが重要なのですが、その上司は自分の背中をみて学ばせるという以上に「見せ場は自分がやりたがる」という特徴がありました。どういうことかといえば、クライアント先でどうやって自分を高くみせるかという、過大な「自己呈示」(※自分をよくみせようとする心理)の傾向があったのです。

たとえば、カードを使った問題解決技法で現場にある不満や問題性を洗い出し整理していく手法はKJ法といわれるものです。これは私が専門であり、その発明者であった川喜田次郎氏の会社のNO2であった方とわざわざ(株)認知科学研究所というコンサル会社まで創設しました。そのことは上司も知っていることですが、部下を活かすより、自分がKJ法を使って問題解決するような場面にこだわったのでした。

私が上司なら、そのKJ法を使う場面でこそ部下の強みを活かし、自分はそこで解決策としての案を別の視点からコメントするなどして議論を盛り上げるよう配慮するでしょう。そうすることで、目的であるはずの解決そのものが内容的にもしっかりしたものになるからです。

ここには上司と部下の関係の作り方が、いかに上司側の「任せる勇気」によって変わってくるか、その重要かが現れています。上司は部下のことをどうしても自分の手段とみてしまいがちです。実際にはその部下のほうが知見がある場合、それを上司側が認めるには勇気が必要になります。その勇気の心理には相手と比較される自分の劣等感が伴ってしまうからです。

私たちは他者と比較する自分が常にいることを知っています。その自分の姿はイメージとして有能か無能かを形造り、優越感とその裏返しとしての劣等感を持っています。少し自分が優れていると思えると勇気も出しやすくなることが予想できますが、そのレベルがどこまでかは人によってかなり差があるといえます。とくに私たち日本人には、少しの劣等感のレベルでも勇気がくじかれる人も多いのではないか。このように予想できるのです。

先の例の私の上司にしても普段は人のよい話好きの方であったわけですが、なぜか仕事の場では自分のほうが上であることを周囲に示さないと気がすまなかったのです。残念なことに自己の有能さが何かを当人は本当には理解できず、部下と自分の狭い比較だけの枠組みにとらわれてしまったといえます。

私たちのコンサル業界では、それぞれが自分の得意技を持ち、その場にふさわしい形で協働していくことが必要です。形式的なチーム制に限らず、ゆるやかなプロジェクトの場合などはとくにこの役割の認識が、そのプロジェクト全体の動きを左右してしまうからです。

リーダーシップの問題とも関連してきますが、誰がその場におけるリーダーであるのか。また、そのリーダーとフォロワーの関係はどの段階で変更させるべきかなどが「任せる勇気」に関係する課題となっているのです。

リーダーシップの心理(1):任せる勇気編

(1)「任せる勇気」を削ぐ「失敗への不安」と「責任回避」

任せる勇気と失敗への不安はコインの裏表の関係にあります。任せた後やっぱり不安になって自分が事実上それをやってしまったり、やたらと口を挟んで当人をコントロールしようとすることなどやりがちではないでしょうか。

母親と子ども、上司と部下、先生と生徒、こうした上下関係のある社会的な活動においては失敗の責任を誰がとるかなど、「責任回避」という問題と関係してきます。上が責任をとれないなら部下に頼むことも避けなくてはならない場面もあるからです。

そうした責任を誰がどうとるかはドラッカーのマネジメント理論においても重要されていることです。ドラッカーはマネジメントにおける「責任」を、組織変革していく力とみなし、マネジメントする側がもっとも自覚すべきものとして問いかけます。

ドラッカーの論理はマネジメントが個人の能力や成長への見方を超えて、組織という単位で物事を考える視点を与えてくれます。これはマネジメント論と学習・発達論が不可分な関係としてみなす必要を問うものです。

ドラッカーのいうマネジメントは管理という以上に、組織の成長と個人の成長を対立から協働へ導く論理を持つ点に特徴があります。組織が変わるべき内容がマネジメントの役割と重なり、その役割を遂行するプロセスにおいて個々のメンバーがどう自己管理を達成し、組織に貢献していけるかを問うものだからです。