顧客の心理(2):「ストーリ性」による納得

注文住宅では顧客の多くは平屋建てと二階建てどちらがよいかと悩むことが多いようです。こんな場合、一般的な比較でいえばコストパフォーマンスでは2階建てとなり、平屋建てを選択する率は20%以下となっています。このような明確な形で比較表で対比するような方法は有効なのでしょうか。

すでに内容も多少知っている場合、そうした比較による整理は有効です。しかし、それは比較する対象の中で利点を把握するうえで分かりやすいだけです。すでにわかっている事を位置づけ直したということは、構造的な面を理解するうえでよいでしょう。

しかし、そこには構造が視えてもストーリ性が欠けているため心を惹きつけるようなものがありません。その家に住んでいる自分のイメージがわき、家族と一緒に楽しむような場面が描けるかどうか。こうしたイメージは人生のストーリ性がなければ、購入動機が生まれてきません。

つまり、平屋建ての場合であれば、自然豊かな庭に囲まれた中でリビングと庭が一体になっているような景色がみえる。そこで子どもと一緒にガーディングをして冗談を言い合っているといった想像できることです。こうした物語的なイメージは何かドラマや映画の印象にも関連していたりしますが、それは自分を主人公に見立てるような物語としての「ストーリ性」を求めているからです。

「ストーリ性」に関しては、認知心理学者のジョローム・ブルーナ(ハーバード大学)が80年代から「ナラティブ」の概念していたものです。それを構成するものとして重要なのは登場するキャラクターの意味づけです。そのキャラクターの行動がストーリ性を形にしていくからです。そうなると、どんなキャラクターを設定するのか、それは架空のものか現実の人物なのか、など多様な形が考えられます。例えば、平屋建てが二階建てと比べてどのような点がよいかを説明する場合を検討してみましょう。

「IT企業に勤める夫の田中太郎さんとアパレル企業の営業職の花子さんは殺伐とした山の手の都心生活に疲れ、今は夫婦で世田谷区の公園や林の多い地にマンション住まいしています。子どもも4歳になり、夫婦交代で保育園に連れていく以外は手間も少し減ってきました。夫婦は共働きなのでかなり貯金もできて何度も話し合った結果、まず新築の家を持ちたいということからハウスメーカを探しています。ただし、注文住宅がよいのか、建売り住宅がよいのか迷っているところです。」

こうしたストーリ性は、顧客が読んでも共感しやすいものですが、とくに子どもがいるケースでは具体的な行動に共感を得やすくなります。子育ての大変さはあるとしても、気持ち的には余裕ができ自分達の住まいを根本から見直す状況がわかるからです。

キャラクターは夫がIT業界の人物であることから、ネット検察など情報収集には強いと考えられ、また妻のほうも営業職であれば多面的に専門雑誌など調べるとみなせます。互いによく相談し合える夫婦であることから、両者がうまく相談し合える補助的な解説集や相談シートなど提供するのも営業的には重要なのです。

顧客の心理(1):ピークエンド効果

顧客満足度のCSの指標は一般によく使われますが、成長や利益とのつながりが曖昧な形で目的化してしまっているという問題点があります。たとえば満足している状態を、そのタイミングで聞くのと後で想い出して記憶した事を聞くのとでは結果が大きく変わってくるのです。

そのため、満足した状態がいつなのかを本来は明示しておく必要があるわけですが、それも難しい場合が現実にはあります。その意味では、幸福度も同じことであり、実際に23年度6月時点でコロナ禍から脱しつつあるような状況と比べると、病気率が同じであっても国民全体の幸福度は高くなっているという調査結果も理解できるというわけです。

とくに「ピークエンド効果」として知られる例などは、一般には均等に幸せ感が続いていないため、その盛り上がった時点前後のどこで終わったかが判断に影響を与えるからです。それゆえに、現在は幸福感を短期的なもの(happiness)と長期的なもの(well being)に分けて説明するようになっています。長期的な”ウェルビーング”はポジティブ心理学という学問においてもキーワードとなり、「持続的幸福感」と訳されています。

ハピネスはあくまで何か具体的な行動の結果として現れる瞬間的な感情が伴うものです。スポーツやゲームで勝った瞬間など典型的なものです。心理学では実際にこれを直接測るようなことはせず、それの現れとなる複数の質問項目を作り、組み合わせた形で指標の値としているからです。そもそも”単体”で働くような心理は人間の場合はありません。

何かの感情や思考が複雑に絡み合って外部に現れ行動が引き起こされるからです。そのような概念や用語を一般には「構成概念」とよんでいます。それは複数の具体的なサブ概念が集まったものであり、抽象的なレベルが高くなるほど、構成要素も増えていくことになります。

自己意識(5):“日常”を知る認知心理学の意義

 私たちは日常の中で行動し思考し感じたりしていますが、この心の動きは常に一体となる”状況”に埋め込まれたものだといえます。この考え方は2000年以降の認知心理学が状況心理学として説いてきた内容です。ただし、同じ状況心理学の中でも3つに大きく分かれた学問分野が生まれてきています。

1:状況を現象学的な視点で再構成されるものとみなす現象学的アプローチ
2:状況をモノとの生態学的な相互作用とみなす生態学的アプローチ
3:状況をコミュニケーションの言語分析を主とするナラティブ(談話)的アプローチ

1はガーフィンケルらの社会構成主義ともいわれる立場であり、2は認知科学の正統派ともいえるD・ノーマン、3はJ・ブルーナー以降のストーリの認知プロセスに注目する立場だといえるでしょう。

こうした3つの立場は相互に補完し合えるものと考えるわけですが、必ずしも学会などで相互理解が進んできたとはいえません。それは基盤とする学問の原理・方法論が異なるという理由もありますが、何を解決しようとしているかという目的の違いも関係しています。

私の立場はその目的に応じて3つを使いわけており、相互の関連性を把握していく方向を重視しています。そうすることによって、むしろ現実を分析するうえでも、より高いメタ認知や解決の選択肢を豊かに活かすことができるからです。

とりわけ、このコロナ禍の時代になってから”目的”としてきているのは、日常の変化をどう理解し、自己や組織の変革につなげるのかです。その視点からみたときに有効な心理学の方法論とは何かということでしょう。

自己意識(4):自己意識を方向づける「促進的記号」

私たちは状況の中で活動していますが、この具体的な場での行動を制約したり方向づけたりしているものを探る科学が状況認知論や活動理論の課題となっています。その点から心理学を越えて記号論のC・パース、さらにヴェルシナー(Jaan Valsiner)の「促進的記号」という説が注目されます。

記号論は表示される数字から図、絵に関わるような視覚的に理解できるものばかりでなく、心理的なイメージも分析の対象にしています。その視点からすると、心理学と結びつくのは当然だといえます。この場合のイメージや表象の多様性は、人の認知モデルの多様性でもあり、ヴェルシナーは”時間”という概念をそこに持ち込むことで、現在から未来への繋がりを強調しています。

促進的記号とは何か新しい未来へ向けた促進的な働きかけをする記号だというのです。その意味は「ありうる未来を構築するガイドとして機能するもの」だとしています。これは自分に勇気づけするような記号、例えばパワースポット」だったり、「キットカット」のような受験効果をねらったチョコなどを指すものです。それらは特別な当人の想いや経験と結びついた記号であって、他の人には意味のないものかもしれません。だからこそ、体験や価値観のユニークさがそこにあり、なんでもない石でさえも、ある人にとっては人生の形見であったりするのです。

こうした記号の働きをヴェルシナーの促進的記号説として捉えたとすれば、それは時間の変化とともに変わる表象でもあるといえます。時間が経つにつれてポジティブ効果(ネガティブ効果)を持つようになるかどうか、それは当人の人生に意味を与え行動にも大きく影響します。

さらにビジネス心理という視点からみると、理念を文字化した「社是」は促進的記号として機能しているといえます。その他、元気を出すために聴く好みのBGMなども歌詞を越えた記号的な影響を与えます。そして、こうした文化心理学的な記号の分析は、記号の形態の多様性を人への心理的な影響からみることが出発点なっているのです。

自己意識(3):「ドラマの感覚」からつかむ自己理解

  「SUIT」という海外ドラマのシリーズはビジネスの中でいかに心理学を学ぶかというテーマに最適な教材としてお勧めです。このドラマではビジネスを人の善意と悪意の狭間の中で、また人生の葛藤の中で”自己概念”(アイデンティティ)をどう獲得していくかを教えてくれます。

主人公は天才的な記憶力を活かして弁護士のコンサル会社に勤めている若者。彼には直接の上司と恋人しか知らない秘密があり、それを知られると弁護士資格が剥奪される以上に刑務所にいく結果になるという設定。ハーバード大学卒だけが一人前とみなされる所属コンサル会社では、その嘘がいつ公の下にさらされるか気が気でない毎日という状況です。そんな仕事の中で上司の背中をみながらプロとは何か、超一流とは何か、正義とは何か、法とは何か、など重要な価値観を学んでいく姿に共感するわけです。

このドラマには秀でた能力の持ち主が陥る仕事上の落し穴や他者と協力していく難しさ、信頼性の意味など多面的な人間の在り方を考えさせるテーマ性があります。そのような「ドラマの感覚」こそ、すでに80年代に認知心理学者ジェローム・ブルーナの「ナラティブ理論」で強調したものです。

「ドラマの感覚」(Sense of drama)は葛藤や矛盾がキーとなるものですが、そこに矛盾を乗り越えていく次のステップへの鍵もあることに注目しておきたいところです。このステップは必然的な場を生み出し、飛躍的な成長や発達をもたらすものだからです。

私たちが生きる世界は矛盾と葛藤に満ちています。それを個人として解決しようとしても限界があります。その限界を超えて成功していくためには個人ではなく、他者との協力や組織といった武器が必要となってきます。そこにこそ当人の”人間性”と”知性”の統合が問われる生の人間行動のおもしろさやおかしさが現れてきます。

ただし、”人間性”といったものは見方によって様々ですが、だからといって漠然としているものではなく、その”問い”を探すのがこのドラマの面白さでもあるともいえます。

また、このドラマでは自分が視た”映画”のキャラクターの”語り”をジョークで使う場面が多くありますが、これがユニークなのは真似をする場面が頻繁に出てくるのです。そこにあるこだわりが、そのドラマの監督らしいところともいえます。

ふざけているようにも一見みえるのですが、は「ナラティブ理論」からすると非常に重要なコミュニケーションや学びとも考えられます。とくに”理念”などの価値観を習得していくうえでは、これは不可欠なドラマの感覚を含んだ即興演劇の「インプロ」に近い効果を持つものだからです。

 ビジネスを成功させるものは「問い」の質ではないか、そんな想いをさせてくれるのがこのドラマです。シーズン2の後半で上司の信頼を失い途方に暮れる場面が続きますが、そこには自分がどういう選択をすべきか、その選択の基準を間違うときが”問い”を間違えるときでもあるのです。

私たちの日常は人の信頼に上に成り立つものですが、以外に相手を分かったつもりでいたりします。そのため、良かれと思い相手のためにした行動であったものが、後になってから逆に相手を傷つける原因になってしまいます。このドラマでは、そうした人間関係のズレとなる場面が至るところに出てきます。それが当初は小さな悪戯や相手のためを想っての隠しごとであったりするような“善意”でやってしまいます。そこがドラマの感覚を呼び起こす“矛盾”なのですが、その善意の結果がどうなるか予測がつかないために当人はその影響を見過ごしてしまいます。ここが間違った行動につながる”地雷”でもあるわけですが、一度その地雷を踏んでしまうと取り返すのはとても困難なのです。

そうした人生の困難を乗り越えていくにはどうするのか、そうした問いを常に視聴する側に投げかけながら、ドラマはドラスティックに展開していくというわけです。

自己意識(2):「私的自己意識」VS「公的自己意識」

自己を意識する場合に二つのタイプがあります。一つは「私的自己意識」であり、自分の内面側に関心を向けて、失敗や成功の要因を常に自分の態度や行動の面から見直したりするタイプです。自分の独自の個性や考えを大事にし、他者がどう思うかよりも自分の在り方や価値観を優先していきます。その点では哲学や心理学を学ぼうとするような人はこのタイプといえます。

他方で「公的自己意識」が高いという場合は、外部の人が自分をどうみるかを気にし、社会と自分のつながりを優先しようとします。世間がどう思うかという日本人的な意識もこのタイプになってきますが、必ずしも他者に依存しているわけではありません。共感を大事にしていく面があり、スポーツ観戦と選手の一体感を生み出すような働きをするからです。

私的か公的かは同じ人物であっても、場面によって選択的にそれを選んでいることがあります。たとえば、サッカーのワールドカップで会社仲間と一緒に日本チームを応援しているときは公的自己意識が強くなっても、仕事では互いがプロとして批判的であり、お互いが競い合うような営業をしているといったことがあるのです。

つまり、私的か公的かはどんな活動のスタイルを選んでいるのか、その場の活動の目的によって変わってくるという認識が決め手になってくるということなのです。ただし、ここで注意が必要なのは、鏡を自分の前に置いたりして自分の姿がすぐ視えるようにしておくと私的自己意識が高まるということがわかっていることです。

自分の行動や姿を見える化するわけですが、すると通常のとき以上に自分の立ち振る舞いに対して他者の視点から客観的にみるような傾向が高くなるのです。これは公的自己意識が働くという点では私的自己の否定のように視えます。ですが、他者の視点というよりも自分の客観的な姿をながめる自己がそこにいるということから、公的自己意識の第三者的な「THEY意識」(※佐伯胖)の側面を強調するものだといえます。

それに対して、サッカーチームを応援する場での公的意識は共感をベースにしている点から、「WE意識」(※佐伯胖)が前面にあるということです。WE意識には互いの共感が軸になり、絆を強めるようなことが幸福感情を高める効果があります。それによってアドラーのいう「共同体感覚」も高くなり、望ましい人間関係を創るうえではプラスとなるという効果があります。

 

自己意識(1):自己の「認知的制約」

認知心理学では認識の限界を表す「認知的制約」(cognitive constraint)という問題を多くの実証実験で検証してきました。これはどのような記憶・思考・感情であっても、その場の持つ物理的な“状況性”とどんな時間の流れの中で変化してきたかという“歴史性”、そして多様な価値観が含まれる“文化性”によって制約されてしまうという面を強調しているのです。こうした制約の3つの特性は具体的な認知プロセスとして分析する必要がありますが、ここでは“制約”という意味をもう少し具体的に理解しておくことが重要です。

キャリア教育でも人生の選択が問われますが、この場合に選択する行為がどこまで「自由意志」によるものかは心理学だけでなく哲学の問題ともなります。たとえば、自分で〇〇銀行に就職先を決めたとする場合、それは自分の意志で自由に決めたように思われます。

ところが、その決定のプロセスを辿っていくと、希望する銀行の選択が大学卒であるだけではなく、学部や大学偏差値のある一定レベルでないと受からないような“基準”が就職活動の中でわかってきたりします。自分が所属する大学がすでに面接など受ける手前で、当人の能力で評価される前に何らかの暗黙のカベで仕切られてしまっているというわけです。

こうした社会的な慣習や文化の中にある暗黙のカベを知ってくるのです。つまり、自己のキャリアの選択はすでに文化的要因により、経営学部のある偏差値〇〇以上のような条件が課されているといえます。ある意味では「常識」それ自体が認知的制約になっているのです。

哲学がテーマとしている「自由意志」の説では、人の道徳や倫理の価値基準などの選択は当人が判断する自由意志によって決められるとします。ところが、“自由”という無限定な“意志”は心理学からすると社会関係や文化などから制約を受けており、そうせざるを得ないような慣習や常識などの心理要因が全体として絡んでいるものとみなします。

ドイツの哲学者カントが述べたことでも知られるように、自由意志は社会的な活動のプロセスにおいて“制限”されているのです。それをどこまで意識的に気づくかは学びの質と量によって変わってくるといえるでしょう。

エンターテイメントの心理学(1)

■「エンターテイメント」の心理学:エンターテイメント性の分類

 

エンターテイメントの心理的要因については、次のようなものが考えられます。

A1:ドキドキ型⇒ジェットコースターに乗るスリルのような情動が伴なうもの

A2:ゲラゲラ型⇒お笑いタレント番組のような情動が伴うもの

A3:サラサラ型⇒スポーツ漫画のよう気分がさわやかな情動が伴うもの

A4:ウルウル型⇒悲劇を観て楽しむような涙を流す情動が伴うもの

これらの分類はアリストテレス以来のドラマの分類に似ている面があり、人がどんな感情を持つときにエンジョイしているといえるかを分類するものです。

さらに、次のような能力要因からの分類も可能です。
B1:身体技能型⇒スポーツのようなテクニカルな技術にこだわったもの
B2:知的技能型⇒クイズを解くような知的な能力が試されるようなもの
B3:感情技能型⇒とくに人生の目的といったものはなく情緒や感情的欲求を満たすものB4:交流技能型⇒人とのコミュニケーションでおしゃべり自体を楽しむようなもの

こうしたエンターテイメント要因について、さらに詳細なプロセスを追う内容の分類もあるかもしれません。ここではそうした深入りはせずに、心理的な内容の面でどんな効果があるのかを検討してみましょう。

たとえば、具体的な道具と関連で見た場合には単純な分類では通用しないケースがいくつかあります。パチンコなどが典型的ですが、パチンコというゲーム性はA1B2タイプの組み合わせですが、そこにアニメとして「北斗の拳」が利用された場合はA3タイプが加わることになります。その場合のエンターテイメントの情動は、3つの構成要因が絡んだものとなってきます。

エンターテイメントの心理要因は、このように複数の要因がその道具使用の在り方と関係しあっていると考えられるのです。しかも、時間的な流れの中でみたときには、その要因の中でもどれが主流となるかはプロセスごとに変わってきます。

さらにマーケティング的な視点からは、モノ所有の欲求型からサービスの経験価値型といった区分も重要になるでしょう。モノ所有の欲求が満たされていればエンジョイできた時代は自動車を持って郊外へ休日にドライブするようなことがエンターテイメントとして重視されます。誰もが同じようにモノを持つことをステイタスとみなせた昭和の時代であればそうした所有そのものがエンターテイメントであったのです。

■「エンターテイメント」の心理学:エンターテイメント性の分析法

このように人と時代によって、エンターテイメント性の内容そのものも変わってきますが、他方でそこに共通する感情もあります。その場面ごとの予測をして、顧客サービスの質と量を調整していくエンターテイメントの“心の科学”が求められるのです。ここでユニークな動物園のサービス革新の事例を検討してみましょう。

旭山動物園では動物の生態的な動きやライフスタイルの魅力を来場者に伝えるために、餌をただ与えるような仕方はやめて、もっとリアルな野生の動物の生き生きした姿が行動でわかるようにしました。これを生態的な「行動展示」というのですが、動物本来の姿を色んな場面で工夫をして観客にみせたのです。

これは観客側からすると、とても新鮮であると同時に動物たちの自然な生き様や動きがみられることになり、来場者数が何倍にもなったというのです。では、この場合のエンターテイメント性の心理とは何でしょうか?

一つには、A1型のようなドキドキ型の場面があり、それはリアルな野生の動物のダイナミックな動きが描き出すものかもしれません。それはライオンなど猛獣の場合ですが、それとは違うカワイイ系の動物達はB4型の触れ合いの楽しさのようなことでしょう。このような多様性と動きのユニークさが要因となって、動物園の楽しさを引き出したといえます。

これらの定量的な分析はその動きを現場で動画に撮るなどして、参与観察型の調査(人類学的な手法でもある)で分析していく方法も有効です。ただし、行動の変化を指標にしていく必要があり、その動物特有のアクションをパターンとして分類することが必要でしょう。

 

リーダーシップの心理(5):任せる勇気編

「役割意識」と成長マインドの関係性

自分が経営管理者として向いていないと思う人は、いつまでたっても管理する仕事への動機付けができません。そのために、管理者研修を同じように受けてみても一方は自分の管理のしかたを振返りながら改善をめざそうとするのに対して、他方はまったく変化を受け入れることもなく現状肯定のままで済ましてしまいます。

その違いの心理的な要因には、ポジティブ心理が働いているというよりも現状維持の”自分はこういうものだ”という役割の固定化があります。逆に言えば、その役割意識を変えられるなら、自分らしさの変化を受け入れて新しい役に自分を近づける努力をするようになります。

当初はその役が演技的なものであるかもしれません。学卒の新人教員は学校という場において、かつて生徒という役を演じていた時から一変して教員という役を演じる必要に迫られます。知識としての教育ノウハウもそれほどないわけですが、それでも生徒との関係では先生として振るまう必要があり、その役にふさわしい行動をします。

行動をしているうちに、それがなじんで教員らしさを身につけ、その結果として教員の成長マインドを獲得していくというプロセスをみることができると考えられるのです。

そこには教育の場が持つ生徒と先生の関係性の文化、仕組みとルールがそれらの基盤ともなっています。その基盤のうえに意識としての役割が成り立ち、その役割意識があることによって、自分らしさも「アイデンティティ」につながっていくとみなせます。

成長マインドはこのようなアイデンティティの発達過程を含むダイナミックな心理なのです。だとすれば、少し背伸びした「役割意識」が何かを理解することは、とても重要な成功モードの要因だとみなせます。それは具体的には自己管理の在り方とも関連しながら、自分を高めていく土台になっていくものです。

また、こうした変化を重視する成長マインドの見方は、弁証法(※ヘーゲル哲学)の考えとも重なります。それによって自己変革がおこり、新たな学びや人間関係が生まれるからかもしれません。

弁証法というのは、肯定的否定(肯定的ネガティビティ)は否定的なものの中に次の肯定的な発展への契機が隠されている、という発展や進化の認識論です。そこには自然な発展性の流れを捉える科学の視点があり、人が変革をする勇気を与えてくれるものです。

目の前にどんな否定的な出来事があっても、そこに可能性としての発展があるとすることで、成長への手がかりが見つかるのです。現実が多様であり、予測が簡単ではないとしても、大きな流れの中では変化し適応すること、それを科学は証明してきているからです。

リーダーシップの心理(4):任せる勇気編

ポジティブ心理学からみた「成長マインド」の考え方

成長マインドは通常のポジティブ心理学の見方ではこうした限界があるといえますが、それでも全体的な見方は幸福優位の立場が望ましいということです。その根拠は、長期的には人が他者と協力していくうえで成功や失敗を通じて怒りだけではなく、仲間への共感や勝利への確信などポジティブな感情要因が生まれてくることで、変革が維持向上されてくるからです。

そこには感情としてのポジティブ優位性は明らかなものであり、誰もがその感情の中でやる気を高め向上心を持つようになってくるからです。
そもそも向上したいという成長マインドの欲求は、誰かに認めてもらいたいという「承認欲求」と一体となっていると考えられるのです。社会的な向上心は、自己承認的な欲求でもあり、かつ他者承認的な欲求と裏腹でもあるのです。スポーツのような身体技能を競う世界ではそれがオリンピックのようなものほど、自己の成長マインドと社会から認められる承認欲求の両面性が際立ってきます。

こうした見方からすると、成長マインドには怒りという飢えの感情はなく、自分本来のポジティブなものへの欲求をベースにするものだとみえるかもしれません。
ビジネスでは営業など顧客へのサービスを軸にするものなら、承認欲求も高いし成果への達成が自己のインセンティブとして見えるものです。

それゆえ、容易に成長への動機づけができるものです。営業の仕事については人間関係を重視する満足志向は意義のあることでしょう。ですが、内勤的な仕事については顧客という存在は漠然としていますので、このような明確性がなく動機も曖昧となってきます。
そこにビジネスとしての成長マインドをどう創るかという難しさがあります。

もし自分の周りの人達をみても成長を感じ取れるようなら、あなた自身も成長への期待や希望をもてるタイプの人に違いありません。このような感覚をここでは「変革可能感」と呼んでおきます。

自分を取り巻く組織や人、そして自分自身が“変革可能”だという感覚であり、未来志向の実践を促す力といえるものです。
変革可能という実感があるためには、これまで自分が経験してきた変革への行動が何らかの形で成功していること。そして、それが現在から将来にかけて継続できている実感を持てることが必要です。そのベースがあってこそ、自己実現への行動が具体的な形になると考えられるからです。

変革という視点からリーダーシップが問われることになります。マネジメントは複雑性への対応であり、リーダーシップは変革がキーとなるものだからです。
つまり、変革はそこに未来への期待や可能性をみるのであって、そのビジョンが不可欠となりますが、マネジメントは他者を目的へと近づける調整力が要であると考えられるのです。

もちろん、こういう言い方もできます。企業のリーダーシップを考えるとき、その会社の社長の“人間力”がなかったから業績が上がらないのだと。人間性や人の“器”ができておらず、社員達の心をつかむ力やリーダーシップがなかったのだと。

このように、個人的な資質として社長の能力の無さをいうことは容易なわけですが、ビジネス心理学では変革を3つの領域に分類して、その変革プロセスに注目しています。とくに人の仕事においては人の変革を問うために、人の活動をどう変革可能なものにしていくかということが問われるのです。