自己意識の理解(1):自己の「認知的制約」

認知心理学では認識の限界を表す「認知的制約」(cognitive constraint)という問題を多くの実証実験で検証してきました。これはどのような記憶・思考・感情であっても、その場の持つ物理的な“状況性”とどんな時間の流れの中で変化してきたかという“歴史性”、そして多様な価値観が含まれる“文化性”によって制約されてしまうという面を強調しているのです。こうした制約の3つの特性は具体的な認知プロセスとして分析する必要がありますが、ここでは“制約”という意味をもう少し具体的に理解しておくことが重要です。

キャリア教育でも人生の選択が問われますが、この場合に選択する行為がどこまで「自由意志」によるものかは心理学だけでなく哲学の問題ともなります。たとえば、自分で〇〇銀行に就職先を決めたとする場合、それは自分の意志で自由に決めたように思われます。

ところが、その決定のプロセスを辿っていくと、希望する銀行の選択が大学卒であるだけではなく、学部や大学偏差値のある一定レベルでないと受からないような“基準”が就職活動の中でわかってきたりします。自分が所属する大学がすでに面接など受ける手前で、当人の能力で評価される前に何らかの暗黙のカベで仕切られてしまっているというわけです。

こうした社会的な慣習や文化の中にある暗黙のカベを知ってくるのです。つまり、自己のキャリアの選択はすでに文化的要因により、経営学部のある偏差値〇〇以上のような条件が課されているといえます。ある意味では「常識」それ自体が認知的制約になっているのです。

哲学がテーマとしている「自由意志」の説では、人の道徳や倫理の価値基準などの選択は当人が判断する自由意志によって決められるとします。ところが、“自由”という無限定な“意志”は心理学からすると社会関係や文化などから制約を受けており、そうせざるを得ないような慣習や常識などの心理要因が全体として絡んでいるものとみなします。

ドイツの哲学者カントが述べたことでも知られるように、自由意志は社会的な活動のプロセスにおいて“制限”されているのです。それをどこまで意識的に気づくかは学びの質と量によって変わってくるといえるでしょう。

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