匠英一のソーシャル・メディア論(その1)

<「Facebook」vs「Google+」の比較から見えてくるソーシャル・メディア戦略の意義>

ソーシャル・メディアのテクニカルな進歩はネットユーザも悩ますものですが、とくにFacebookかGoogle+のどちらがよいかは選択しづらいものです。

しかし、その発展の短い歴史をたどると両者のコンセプトや機能の違いが明確になってきます。すでにGoogle+の入門書も出ていますが、Facebookに比べると1割程度というところですので、ここではGoogle+を重点に検討してみましょう。

 

Google+の機能で特徴的なものは「サークル」という機能です。それはFacebookにも似たものがありますが、ビジネス利用でとくに重要なことは役割(部長や課長など)や組織別での情報公開をどう限定するかです。ここでの明確な“区分け”をコントロールできる点が問題なのです。つまり、個人情報の扱いも含めてFacebookが問われたことは、この区分けが曖昧なために知られたくない情報が相手に伝わるという問題だったからです。

 

Facebookのコンセプトは「友達の友達はまた友達」といったオープンマインドなものです。実名主義もその趣旨に沿うものですが、これは友達が大学レベルの関係なら問題はなく、多くの友達が増えることと自己メリットはほぼ一致していました。Facebookは大学の友人作りから始まった歴史からもその情報公開の戦略は自社のコアでもあり、譲れないところだということがわかります。

 

ところが、ビジネスではその情報の実名性とオープン化がトラベルの原因ともなってくるケースがあるのです。私自身(匠英一)も単一のパーソナリティでメディアに登場しているわけではありません。マスコミでは「心理学者」という顔を持ってTVに出て、また他方ではCRM協議会創設者・事務局長だったということから「CRMコンサルタント」の企業向けの顔があります。さらに学術上の分野で大学教授でもあるわけですが、どの顔も相手側に見せる場合、ひとつの面を強調しておかなくては混乱を起こすことになりかねません。

企業であればブランドイメージの統一ということですが、ビジネス上とくにこうした複数の顔(役割)を持つことは程度の差はあっても普通のことです。Google+はこの面できわめて優れており、最初からこうした情報制限を相手に応じてするサークル機能を重視して作られているのです。

 

そして、この視点は社会心理学者や人類学者などを投入して“ソーシャル性”の内容をよく研究した成果だともいわれています。確かに人の関係性は複雑であり、役割・地位などに応じて私たちは自分の性格から行動パターンまで変わることがわかっているからです。

 

たとえば、「交流分析」(エゴグラム)というメソッドは心理療法でも有名ですが、人の性格を5つのタイプの混合物とみなすものでした。それはきびしい父親、温かい母親、理性的な大人、ワンパクな子ども、従順な子ども、という面を併せ持ちながら相手の役割・地位などに応じて重みづけを変えるものと考えるのです。実際に、私たちは会社の部長であれ大学教授であれ、自分の親と体面しているときは子供っぽいコトバを平気で言うし、ワンパクな行動をしたりするわけです。そのやり取りのコメントが仮にどこかのツイッターで書いたものがリツイートされて、会社の上司が見たりしたらどうでしょうか。「こんなわがままな奴だったとは・・・」と上司に思われかねないかもしれません。友達関係と異なる経済的な利害のソーシャル性はこうした誤解が致命的なものとなることが多いのです。