リーダーシップの心理(3):任せる勇気編

「逆転型成長マインド」と「現在型成長マインド」

相手に何事かを任せるには、自分が自律し成長している感覚が問われます。現在の自分が将来に向けても成長できるか、そして成長しているという感覚があるか、この2つのことは成長マインドを決めるものです。
そこで、前者は「希望型成長マインド」(HDM)、後者は「現在型成長マインド」(PDM)とここでは称しておきます。

HDMはビジョンとも関わる内容ですので、社会観など多面的な要因がかかわってきます。他方のPDMでは自己自身の行動レベルでの成功や失敗の経験の評価が関わってくると考えられます。小さな成功が続いていれば成長を実感することになるし、失敗続きであればそうはならないからですが、そこに自己の挑戦度がどれほどかという評価感が関係してくるので注意が必要です。

もし、挑戦度が高いことで失敗を繰り返していても、自己評価は低くならないと考えられ、場合によっては失敗自体を成長の機会ともみることになるのです。
このような否定的経験を乗り越えての肯定的な自己評価こそ「レジリエンス力」のコアになるものだといえるでしょう。私はこれを「逆転型成長マインド」と呼んでおきたいと思います。失敗を逆転させる挑戦心を持つものですが、それは根性や意思力のテーマとも関連するレジリエンス本来の内容です。

レジリエンス概念は抵抗や克服といった反転的な事象を客観的に表す概念ですが、成長マインドの概念はより主観と感情要素が入った心の状態を意味するものです。
科学的な表現としては、いずれも認知、感情、行動要素のそれぞれのバランスも考慮した心的傾向を示す指標が必要となります。成長マインドという概念をレジリエンスに導入することで、より感情要素の実感をベースに当人がそれをどう受容し習得していくか、キャリア発達の中で問題にできるのではないかということが私の問題意識にあるのです。

さらに成長マインドの概念は、キャリアをどう発達的で学習可能なものにしていくかを主体側に即して考えることがしやすくなります。レジリエンスの概念では、どうしても外部からの圧力的なものや対抗する対象が前提で受身的な形になってしまうのです。元来の意味が“抵抗”ですので、それは他者的な存在を敵とみる見方となっているからです。そこには主体としての成長するうえで不可欠な“協力”や“共感”といったポジティブな対象を主体側にすえる発想が抜けているのです。

成長マインドは自己本来の在り方をマインドフルネスの視点も取り入れながら発展させることができます。マインフルな主体側の在り方とは何かと問えば、私は次のように定義しておきたいと思います。

「成功や失敗を主体的受容(ありのままの受け入れ)しながら、未来においては善となることを信じる心の在り様のこと」

人は未来を考えずに入られませんが、どうなるかは予測ができてもそのビジョンへの確信はもてません。ですが、未来をどう評価するかは自分が選択できるものです。
つまり、未来を評価する側の自己の在り様にこそ成長マインドのコアな役割があるのです。

未来がいつまでも不安の対象でしかないのかは、当人の成長マインドに左右されるものです。成長マインドが逆転型であるなら未来は挑戦と希望の対象であり、現在型であるならば過去の経験に依存する不安なものになってくるのです。どちらを選択するかは自己自身の問題であり、自己がどういう学び方をし、そこに新たな何をみるかにかかってくるのではないでしょうか。

リーダーシップの心理(2):任せる勇気編

成長マインドの新しい次元としての「任せる勇気」

「任せる勇気」は人の成長欲求を向上させる力となり、その「成長マインド」を切り開くものです。理由は次の3つ。
1:自己意識の低い次元から他者信頼を入れた他者の成長マインドを考慮できる
2:チームや組織のシステム全体の効果によって自己の弱みを強みにする
3:役割意識を与える効果によって他者は役割に応じた成長の機会を持つ

自己という枠を越えて相手の成長をねがう気持ちは貢献意識にもつながるもので、その結果として幸福感が継続することにもなります。また、チームなど組織的な場においては、メンバー間の役割を適切なものにするよう配慮するようになります。

つまり、任せる勇気があることが結局のところ自分と他者の間の壁を乗り越えていく機会と場を多く産み出していくわけです。あなたがもし相手がこんなことはできないと思っている限りは、相手もあなたに対して信頼をさほどおきません。信頼とは相互作用の産物でもあるからです。
そうした相互作用の事例をあげてみましょう。

私がコンサル会社で上司と仕事をしていたときのことです。上司はクライアントの問題解決をする役割を部下と役割分担していくことが重要なのですが、その上司は自分の背中をみて学ばせるという以上に「見せ場は自分がやりたがる」という特徴がありました。どういうことかといえば、クライアント先でどうやって自分を高くみせるかという、過大な「自己呈示」(※自分をよくみせようとする心理)の傾向があったのです。

たとえば、カードを使った問題解決技法で現場にある不満や問題性を洗い出し整理していく手法はKJ法といわれるものです。これは私が専門であり、その発明者であった川喜田次郎氏の会社のNO2であった方とわざわざ(株)認知科学研究所というコンサル会社まで創設しました。そのことは上司も知っていることですが、部下を活かすより、自分がKJ法を使って問題解決するような場面にこだわったのでした。

私が上司なら、そのKJ法を使う場面でこそ部下の強みを活かし、自分はそこで解決策としての案を別の視点からコメントするなどして議論を盛り上げるよう配慮するでしょう。そうすることで、目的であるはずの解決そのものが内容的にもしっかりしたものになるからです。

ここには上司と部下の関係の作り方が、いかに上司側の「任せる勇気」によって変わってくるか、その重要かが現れています。上司は部下のことをどうしても自分の手段とみてしまいがちです。実際にはその部下のほうが知見がある場合、それを上司側が認めるには勇気が必要になります。その勇気の心理には相手と比較される自分の劣等感が伴ってしまうからです。

私たちは他者と比較する自分が常にいることを知っています。その自分の姿はイメージとして有能か無能かを形造り、優越感とその裏返しとしての劣等感を持っています。少し自分が優れていると思えると勇気も出しやすくなることが予想できますが、そのレベルがどこまでかは人によってかなり差があるといえます。とくに私たち日本人には、少しの劣等感のレベルでも勇気がくじかれる人も多いのではないか。このように予想できるのです。

先の例の私の上司にしても普段は人のよい話好きの方であったわけですが、なぜか仕事の場では自分のほうが上であることを周囲に示さないと気がすまなかったのです。残念なことに自己の有能さが何かを当人は本当には理解できず、部下と自分の狭い比較だけの枠組みにとらわれてしまったといえます。

私たちのコンサル業界では、それぞれが自分の得意技を持ち、その場にふさわしい形で協働していくことが必要です。形式的なチーム制に限らず、ゆるやかなプロジェクトの場合などはとくにこの役割の認識が、そのプロジェクト全体の動きを左右してしまうからです。

リーダーシップの問題とも関連してきますが、誰がその場におけるリーダーであるのか。また、そのリーダーとフォロワーの関係はどの段階で変更させるべきかなどが「任せる勇気」に関係する課題となっているのです。

リーダーシップの心理(1):任せる勇気編

(1)「任せる勇気」を削ぐ「失敗への不安」と「責任回避」

任せる勇気と失敗への不安はコインの裏表の関係にあります。任せた後やっぱり不安になって自分が事実上それをやってしまったり、やたらと口を挟んで当人をコントロールしようとすることなどやりがちではないでしょうか。

母親と子ども、上司と部下、先生と生徒、こうした上下関係のある社会的な活動においては失敗の責任を誰がとるかなど、「責任回避」という問題と関係してきます。上が責任をとれないなら部下に頼むことも避けなくてはならない場面もあるからです。

そうした責任を誰がどうとるかはドラッカーのマネジメント理論においても重要されていることです。ドラッカーはマネジメントにおける「責任」を、組織変革していく力とみなし、マネジメントする側がもっとも自覚すべきものとして問いかけます。

ドラッカーの論理はマネジメントが個人の能力や成長への見方を超えて、組織という単位で物事を考える視点を与えてくれます。これはマネジメント論と学習・発達論が不可分な関係としてみなす必要を問うものです。

ドラッカーのいうマネジメントは管理という以上に、組織の成長と個人の成長を対立から協働へ導く論理を持つ点に特徴があります。組織が変わるべき内容がマネジメントの役割と重なり、その役割を遂行するプロセスにおいて個々のメンバーがどう自己管理を達成し、組織に貢献していけるかを問うものだからです。

(その9)不正の心理とは

■不正の心理(5)/犯罪を抑止する「プライムプルーフ」の仕組みとは?

左記の3つの犯罪者の分析から、犯罪を事前に防いだり、再発をさせない抑制法を検討しましょう。 この基本的な視点は、環境や仕組みの工夫による「プライムプループ」にあるといえます。

例えば、百貨店の洋服売り場で何も監視の仕組みがなく、レジも離れていれば、つい万引きをする人も多くなります。ですが、監視カメラやスタッフの適切な配置があればそのような万引きへの「誘引」がずっと減るはずです。

さらにニューヨーク市の地下鉄での暴力犯罪を激減させた例では、集中的に壁をきれいにする住民運動の取り組みがあります。

これは、バタフライ効果のように犯罪の根源であった汚い地下鉄の環境を「壁」をきれいにするということから、その相乗効果として犯罪者のたむろしていた場を転換した効果によるものでした。これは、最初から原因がわかって開始されたというより試行錯誤の中で発見した犯罪の場を変える「小さな一撃」の大きな効果だったといえるでしょう。

■不正の心理(6)/犯罪のプロに至る「発達段階」と仲間の「準拠集団」を断て!

前述の環境の面からとは別に、犯罪の「発達段階」から防止を検討してましょう。初犯から徐々に確信的なプロセス犯罪へという流れを考えると次の段階がみられます。

①初犯の偶発的な「誘引」による犯行
②意図的な犯しやすい場の「選択」
③計画的な破壊行為など伴う場の「形式」

つまり、初期は「出来心」でも、それで「成功」すると社会(親)への反発心が満たされ、自己の「有能感」を持つ。それが次に意図的な選択的犯行を促すことになり、仲間集団とも協力する形で破壊的な「形式」段階に至る。

このような犯罪の悪循環を立ち切るには、本人と同時に「準拠集団」との関係を変えることも必要になります。この集団は自己の行動を受け入れる仲間のこと。犯行を重ねるリーダがいたりすると、その行動がメンバー全体に伝播することになるため、その接点を立ち切ることが優先事項となります。

(その8)不正の心理とは

■不正の心理(3)/犯罪数は社会的な富の発展と個人の力との差で産まれる?

世の中、「勝ち組み」というコトバが流行していますが、多少の不正は犯しても「勝ち組み」になれさえすれば─と思う人も多いようです。こういう個人の欲求とそれを実現する手段とがギャップのある状態を問題にしたのが「アノミー理論」です。

これはE・デュルケムという社会学者が提唱したもので、犯罪の動機となる原因を社会の価値との関係から説明するのです。「勝ち組み」になるという欲求は社会の価値として認められているものです。ただそれをどう実現するかという「手段」は不正を犯してもよいわけではありません。あえて「目的が正しいなら、手段は何でも」と考え実行するところに犯罪の原因があるとみるのが「アノミー理論」なのです。

この理論の心理的な意義は、犯罪者の個人的欲求を個人内に限定せず、社会成長とのギャップをみる視点です。一部の富裕層が拡大することで、犯罪への動機は高まるとみるわけですが、社会の進化とともに生まれる価値・欲望を実現する「手段」にはどうしても限界がありますが、それを心理面からサポートする仕組みも求められているといえるでしょう。

■不正の心理(4)/犯人像のイメージを当人の記憶が創りだす危険とは?

身近なところで犯罪が起きると、その相手が今まで普通にあいさつしていたような行動でさえ「ちょっと暗い顔をしていた」など犯罪者らしいものとしてみるようになります。

そして、子ども時代に一度でも万引きなどしていれば、そういう犯罪をする性格があったものと類推するわけです。つまり、結果が原因らしきものを、都合よく集めてくれる点が「選択的確証」の特徴といえます。調査では、万引きをしたことのない子どもの方が少ないほどなのに、それを犯罪の要因として結びつけることで、確信を強めていきます。

とくに「犯罪者=特別な人」と思いたい傾向があることから、犯罪者の「ステレオタイプ」に合った特徴づけを探し、犯罪のプロファイルを追加していくことになるわけです。

これは「目撃緒言の信憑性」の問題もあり、犯人らしき人の写真を見たという“手順”が、その当人に犯人像を記憶として新しく創り出してまうのです。それは最近の認知的な研究でも実証されてきていることですが、記憶の不確かさといった程度ではなく、犯人でない写真を見た経験が、後からその見た写真を正当化するような結果になるといえます。

 

(その7)不正の心理とは

■不正の心理(1)/犯罪をするのは異常者ではない「普通の人」?

不正や犯罪をするのは異常者ではない「普通の人」だというと、それは違うと思うのではないでしょうか?
犯罪心理学では「非社会的な異常心理」を問題にしてきたのですが、異常かどうかは外見からはわからなくなってきたのが最近の犯罪の特徴だといえます。

19世紀頃は、犯罪者は遺伝的な原因とみなされていましたが、現在は育った環境やそこでの人間関係を含む状況といったことが重視されています。そのため、犯罪に至った状況要因を犯人の自白以上に重視しているわけです。原因不明のような事件が多いのも現状ですが、とりわけ心理学者の視点から問題となるのは、次の3点でしょう。

①加害者と被害者、裁定者のそれぞれの相互の影響関係→「犯罪誘引の相互作用」
②目標は正しいとされるのに実現手段がない→「アノミー理論」
③都合のよい証拠で原因特定しようとする→「選択的確証」

後述するように、それぞれが関係しあいながら「犯罪」という結果を創り出しているといえます。そのため、犯罪に至った「動機」を犯人に聞いても、当人自身もよくわからなかったりするのです。

■不正の心理(2)/その「当人が悪い」という見方の限界とは?

家庭内暴力(DV)やストーカー行為は、最近になるまで民事問題として刑事法の対象ではありませんでした。これらは、プライベートなものとして犯罪扱いにはなじまないとされたのです。ここには裁定者側の問題も関わってくることから、犯罪心理の範囲は、加害者←→被害者←→裁定者の相互関係を理解していく必要があります。

例えば、当初は正常な恋人関係であったカップルが、途中からストーカー事件となるケース。女性がミニスカートで無防備に夜道を歩いていたとすれば、それが「誘引」として待ち伏せのストーカーを刺激するようなことになるわけです。

つまり、ある状況においては、犯罪者にストーカー行為をしやすい要因を被害者が意識せずに創り出しているということです。もちろん、これは犯罪者を正当化するものではありません。家族療法の箇所でも述べたように、何かの心理的な原因を引き起こしたものを、その本人の個人内での「閉じたシステム」としてでなく、「相互作用のシステム」としてみる視点が、ここでも重要となってくるといえるでしょう。

(その6) スランプの心理

■スランプの心理からわかる本番に弱い日本人の性格

なぜ日本人はプレッシャーに弱いかというと・・・
オリンピックなどでよくわかるように、日本人は肝心のところで能力を発揮できない弱さがあります。これは「注目されることに弱い」ことと関連しているようです。

自分だけが目立って表象などされると裏で妬まれのけ者にされかねないこと。これはアルバイトなど多数いるような企業ではとくに顕著なのです。そのため、誉められることにもプレッシャーとなり、逆効果となることもあるのです。こうしたら笑われるのではとか、失敗したら恥だとかいった「他者の承認」を必要以上に感じる傾向があるというわけです。これは自分に自信のないことを反面では示すものだともいえます。

意識調査などでも、他国の人と比べてとくに日本人の自己評価が低いことでもそのことが実証されています。例えば、それは欧米と中国の3カ国の中学生を調査した結果(02年河合和子)でも、「自己への積極的な評価」をしているかの質問への回答では、海外が8割以上なのに日本は4割程度というのです。とすると、「和をもって尊し」とする日本人気質が、悪い形で表に出たのが「他者の承認」に依存しがちな行動といえるでしょう。

■スランプの心理からわかる努力する割に報われない日本人の働き方

スランプに陥るのには運良く勝ってしまった・負けるはずのない相手に負けてしまったなどすると、スランプになる可能性があります。そのタイプには、成長過程に不可欠な「調和的体制型」と、疲労等の原因で起こる「疲労的限界型」があります。

これらは気づくのが困難ですが、運良く試合に勝つケースでは、いつもとは違うやり方をして勝ったイメージが印象に残り、それが固定化してフォームが変わるなどの問題が出るわけです。

ここではやり方の変更による「スキーマ」の歪みが問題となります。これは「調和的体制型」のスランプといえるもので、技能の成長過程で新しい自分の技能レベルと身体のそれがマッチしないために一時的に生じるものです。そのミスマッチは時間が解決するので無理をしないで基本にもどることが重要でしょう。

「疲労的限界型」のスランプに陥ると、練習をすればするほど、かえって成長のマイナスとなりうるので注意が必要です。そのまま続けると練習への集中力が欠けやる気もそがれることになりますが、素振りのようなことや仲間との合宿研修などが有効でしょう。

認知科学による動画マーケティング(11):未完成型コンテンツの魅力

未完成型コンテンツの魅力とユーザ参画モデル(CGM)

新しいコンテンツビジネスの特徴は初音ミクに代表されるように典型モデルがあるものの、創り手側が新たにカスタマイズしながら協同製作物に仕上げていくという特徴があります。それにより、コンテンツの内容は多面的になると同時に、フリーウェアなどのように共有されて拡がりを創り出しています。

その発展を支える条件としては、誰もがコンテンツの担い手として登場できる場がプラットフォームとして確立されていることです。WIKIやSNSメディアはそのプラットフォームの役割を果たしており、そこから発信される情報やコンテンツは「未完成」というソーシャル性を持たざるをえないわけです。

ここでいうマーケティングの「ソーシャル性」とは次のような特徴を持つものです。
1)素人がプロの世界に参画することができるビジネスプロセスが開かれる
2)協働の場がプラットフォームとして存在しビジネスの基盤となっていく
3)他者のリソースを活用しながら新たなものを創作できる編集的な力が重要となる
4)個としてのパーソナルな関係性がネット上ではとくに強い影響をもたらす
5)顧客と企業の力関係が逆転し、顧客情報を活用するレベルの高さがビジネスの勝敗を決定する。

■情報の「ストーリー性」の特徴

さらに、情報の「ストーリー性」とは次のような特徴を持つものです。

1)ストーリーは、バラバラなデータの集合ではなく、物語的な因果関係がそこにあってはじめて感動や納得をもたらす
2)ストーリーは、”語る”という表現の相互交流の場があってこそ意味が深まり口コミ効果を発揮する
3)ストーリーは、言語や文字に限られるものではなく、絵を含む記号全般に意味とイメージを与える
4)ストーリーは、表現するプロセスや語り手の存在をクローズアップし、パーソナルな関係性を要求する
5)ストーリーは、ビジネスに表現活動の場を与え、その効果がビジネスプロセス全体に及ぶようにする

3や4番目についてはキャラクターの役割が重要となってくる理由でもあります。多くのキャラクターはアニメ的な表現のものや動物などかわいい面を強調するものですが、販促・宣伝の際にはブランドイメージにプラスになるように
することが求められます。

キャラクターそのものがどんな形でコミュニケーションをしたいかをユーザ(消費者)に要求しているからです。かわいいクマの顔を描いていれば親しみやフランクな関係を表すでしょう。

ところが、リアルなクマの写真のようなものであれば力強さや権威を要求するようなものとなるはずです。そこにキャラクターのイメージ戦略があり、ストーリー展開を考慮するうえでも相手の要求にミスマッチとならないようにする必要があります。

 

 

認知科学による動画マーケティング(10):ゲーミフィケーションによる「報酬の自由度」

■ゲーミフィケーションによる「報酬の自由度」の方法と課題点

報償を通じて人事評価や人材開発することは今やどこの企業でも重視してきています。望ましい行動をした報償としてポイントを与え、それを人事評価の指標としていく仕組みは、「ゲーミフィケーション」として検討することができます。そうすることで、より楽しく日常の仕事の中に仕組み化することができるからです。

ただし、ゲーミフィケーションもどんなに表面上ゲームの形になっていても、管理や依存症を産み出す道具になってしまう場合もあります。
たとえば、管理の道具となる問題につて、「ゲーミフィケーション」の著者としても知られる井上明人氏(国際グローバルコミュニケーション大学)は「管理される仕事」の例として次のような場合をあげています。

『「朝起きて歯を磨くと歯ブラシについたセンサーが感知して、歯磨き粉メーカーから「よくできました!10ポイント!」と褒められる。朝食にコーンフレークを食べると、ケロッグから10ポイント。通勤にバスを使うと政府からエコポイントが支給され、それは減税の対象になる。定刻にオフィスに着いたら会社からポイント。打ち合わせ先にバスに乗らずに歩いて行くと、医療保険会社からポイント…」』

これに対して、次のように「働き方を自ら構築できる組織の支援」の視点からゲーミフィケーションを提案しています。
『「朝起きて歯を磨くと歯ブラシについたセンサーが感知する。このセンサーの情報はとりあえず集積させておくことができ、歯ブラシを使ったゲームはざっと一〇〇種類からダウンロードできる。自分でゲームをつくることも、そんなに難しくはない。

会社に行くと、今度のあたらしい人事評価の仕組みでは、子育てをがんばっている人間が、結果的に損をしてしまう可能性がある修正が加えられていたので、とりあえず自分が仕切っているプロジェクトではちょっと抵抗を試みる。子供とコミュニケーションの時間をとっていることが、良い評価につながるようにゲームの仕組みを少しカスタマイズしておく。」』

前者の例は企業の管理側の視点からポイントなど報償を仕組みにしていますが、後者は現場側のスタッフが自らの仕事の改善として取り組む仕組みにしています。一見同じようなゲーミフィケーションにみえますが、実はどんな立場と価値感に基づいて仕組み化しているかがまったく異なり、その結果としての“成果”も違ってくるのです。

■動機付けの理論からみた「コンプガチャ」による“依存症”の問題

このような依存の問題に関連して注意したいことは、「コンプガチャ」です。この意味は、Wikipediaによれば次のようになります。
「カプセルトイ(ガチャ)のようにランダムに入手できるアイテムを揃える(コンプリートする)ことで稀少アイテムを入手できるシステムのこと」

偶然性がここでキーとなるため、コンプガチャの仕組みからは自己の“有能感”を経験することができないわけです。そのため、仮にうまくコンプガチャを達成したとしても「次はさらに難しいコンプガチャに挑戦する」というチャレンジングな意識にはならないと考えられます。

報償の仕組みはゲーミフィケーションの土台でもありますが、同時に人の行動を動機づけるエンジンともいえます。同じポイントを与えるにしても、そのタイミングや重要度や影響は変わってくるのです。

認知科学的な問題として知っておきたいのは、「モチベーション3.0」を提唱したダニエル・ピンクが内発的動機を重視した点です。彼が述べる内発的動機とは次のようなことです。

最初は内発的動機として行っていた自発的な行動が、途中で金銭的な報酬などを与えられると、その内発的なものが減少し逆に外発的動機としての金銭的なものだけに依存するようになることです。

人の行動を呼び起こす動機が「外発的動機」にしかならないなら、それは行動をコントロールする側の論理でしかなく、いつか当人自身は幸せな感情を持てず、その外発的な要因に依存して行動するようになってしまうことを憂慮したわけです。

自分の行動を自分でコントロール感(自己効力感)や、社会(他者)のために自分が役に立っているという貢献感があること。そのようなポジティブな心理が、継続した幸福感を持つことができる条件であることが多くの心理調査でもわかってきています。

認知科学による動画マーケティング(9):「セカンドライフ」の失敗

■「セカンドライフ」の失敗はなぜ?

ゲーミフィケーションの6つの自由度の視点からみたとき、「展開の自由度」を持たせる点で大きな失敗をしたのが、「セカンドライフ」です。これはよく知られるように、2010年頃までは3Dデジタルコンテンツのビジネスとして注目されていましたが、今や国内ではその噂さえ聞こえてきませんが、欧米では少し異なるサービスとしてまだ進化しつづけているようです。

いずれにせよ、このでセカンドライフの失敗から学ぶべきことは、目新しい技術だけではネットサービスに限界があることです。3Dの立体空間は魅力的ではありましたが、そこには過大評価ともいうべき人の“認知力”に関わる甘い見方がありました。

3Dが魅力的なのは、その世界が自分の存在価値を高めるような手作り感があり、かつ容易に知人になれるようなソーシャルな関係がなくては始まらないことでした。

立体空間が自然に見えるのは一時的には魅力となっても、それほど長くは続かないという点です。
これは人が絵をみたり漫画やアニメを解釈する「認知プロセス」の研究などからわかっていることなのです。

たとえば、漫画をシリーズなどで読むときを考えてみてください。その漫画家の絵を最初のころに視たときの印象はかなり違和感があったはずです。ところが、そのリアリティのない感覚は漫画を何度か読むにつれて数カ月も経つ頃には、その違和感がほとんどなくなっているはずです。その漫画の一コマのシーンがあたかもリアルな世界かのような感覚を持ってくるのです。

これは絵の特徴や個性といったものに当人の認知の仕方が“適応”していくために起こる現象なのです。日本人はとくに漫画文化の中で育ってきた歴史があるため、

漫画の表現形式に慣れ、その解釈の仕方を“学習”しているのです。ある意味では漫画を読みこなすエキスパートでもあるといえるのです。
それゆえ、3Dでなくとも、十分にその表現された漫画(キャラクター)をリアルな感覚で認知できるというわけです。