ストーリー心理を動画に活用する方法(1)

■ストーリーの心理に応じたネット動画の活用

動画の利用については、オウンドメディアからダイレクトにか、YouTubeやGoogle+を媒介させてか等の最適な組み合わせを考慮する必要があります。ソーシャルメディアを媒体として活用する場合、そのメディア特性をいかに動画利用に適した形にするかが問われます。

後者の例として、ニッセンはYouTubeを使って商品説明をイメージ豊かにすることに成功しています。具体的にみると、「カスタムガジェット」や「動画アノテーション」などのYouTubeの機能は、ネット上にニッセンの“YouTube支店”を開くうえで効果的なものです。

潜在意識化は人の動機や感情の変化を知るうえで重要なことは誰しも認めるとことですが、測定するにもアンケートなどでは聞き出せないのも明らかです。

J・ザルトマン(ハーバード大学)は、購買プロセスでの無意識の効果を心理と脳科学の視点から調査し、比喩的なイメージを利用した分析法を開発しました。これは国内の大手広告企業がすでに応用していますが、今なぜそうした潜在意識が問われてきているのでしょうか。

ひとつには、客観的な購買動機の調査などが新規商品の開発に役に立たず、既存の商品の悪い点はわかっても新規に求める商品開発につながらないという問題です。何をユーザや顧客が求めているかというニーズ調査はマーケティングの基本でもありますが、多様化した商品群の使用をアンケート等の調査法では有効ではないことがわかってきたからです。

そこで、ニーズ調査の視点を潜在意識に向けることが必要となってきました。ザルトマンによれば、人が何かを理解したり動機づけたりするのは、メタファー(比喩的なもの)をベースとした無意識の働きが重要だということでした。

それを定量的に測定することは難しいのは確かですが、テキストマイニングと組み合わせたキーワードなどから新しい分析手法が開発されてきています。 ネット上の口コミ情報はその宝庫でもあり、いくつか事例をみていくことにしましよう。

【執筆:匠英一】

<しぐさの心理を理解するためには「実践と理論の統合」がカギとなる!>

■心理を学ぶことの難しさとは?
心理学ほど身近な学問は他にありませんが、同時に誤解と偏見に満ちている学問でもあることです。たとえば、心理カウンセラー達との研究会などに出席すると、根拠のない右脳左脳説を持ち出して心の説明に使ったり、自分の心理を他者に当てはめたりといったことが頻繁にみられます。
そして、彼らは心の専門家のように思われているようですが、自分の心の病を直すのに独学的に勉強してきたような人も実際には多いのです。むしろ、ビジネスマンのような一般人の心理分析などする能力は「?」かもしれません。これはカウンセラーという職業の難しさというだけではなく、何か根本的な問題があると考えられるのです?

■「理論と実践の統合」がしぐさの理解に不可欠
それは何かといえば、「理論と実践の統合」を理解していないことだと考えます。つまり、心理学は本では勉強していても、それを現実の中で実践していくプロセスでどう検証し、新たな問題意識をもったりして深く理解していくのか。こうした実践的な学びのスタイルを確立していないということが問題なのではないでしょうか。
しぐさの心理を理解するとは、まさに日常の行動の細かな観察を通じて、自己と他者の違いを理解し、そこに働く心の作用を知ることが不可欠です。その意味でしぐさの心理は実践と理論の統合をめざすことが求められるのだと言えます。

■理論のベースとなる「本を読む」ということの意義
ところで、あなたはどのくらい年間の本代を使っているでしょうか?
3万くらいであれば読んでいる方ですが、ある全国調査での平均では1万5千円程度でした。一方で米国での大学生は10万円程度です。そして、日本の学生はというと・・・1万円という情けない話なのです。
本を読むことはとても大切だと誰でも思っているわけですが、その情報を処理する「量」が絶対的に不足している状態なのです。もちろんスマホやPCでの情報収集はしています。しかし、その種の情報は断片であって思考を育てるにはバラバラな素材に過ぎないものといえるのではないでしょうか。
本を読まない問題性は、情報を組み立てて自分なりの仮説を作り実践の中でそれを検証していくという思考の基盤が欠けてしまうことにあります。論理的な文章を読む認知プロセスは著者との“対話”でもあり、これは認知科学が過去50年の歴史で最も深く研究されてきた内容です。本を読むことを通じて自分との“対話力”もついてくるのですが、その機会をもっていないという問題なのです。

(その5)トヨタ式のカイゼン原理

■仕事のカイゼンにおけるトヨタ式の3つのポイント

カイゼン運動で知られるトヨタでは、現場での問題について「何のため?」かを5回繰り返せといったルールで実践しています。最初の表面的な目標が、そこで不十分であることを認識させるわけです。

すると、より大きな目標(目的)が何か、その条件や土台に突き当たるわけですが、そこから表面上の目標がいかに考えていないかがわかってくるというのです。

そして、元トヨタ系の企業(デンソー)にいた佐藤政人氏は次のようなカイゼンにおける3つの目標の柱を述べています。
・①見えるものから改善する→(組織マネジメント力)
・②多能化を進める→(自己マネジメント力)
・③後工程はお客様と考える→(顧客マネジメント力)

最初の1番の「見えるものからカイゼンする」というのは、まず実践することによる「問題見える化」をしようとするものです。小さな問題がなくなればよしとするわけではなく、より大きな問題が見えてくることに意義があるというのです。

②の多能化はトヨタ生産方式でもよく知られるものです。異なる職務領域につかせることで能力のタコつぼ化を防ぐということ。人材の能力が追いついてなければカイゼンもできません。そのために、チームでの連携や全体工程を理解した考えができる意義があります。

そして、③は顧客志向の観点を全社レベルで実行していくことです。顧客満足度CSと社員満足度ESをつなぐ全体最適化の実践を強調するものです。
これら3つの「マネジメント力」は、相互に結びついてもいるものですが、日常業務の中でいかにして人を育てる環境にしていくか、そうした人と組織の両面的なカイゼンの課題に対応するものといえます。

(その4)「認知的制約」とは

■「認知的制約」が意味するもの

人や物事を理解しようとすること視覚情報の処理だけで片付く問題でないところが人の認識の難しいところです。認識はただ単に、その対象そのものとして視るという認知モデルで理解するのではなく、人とモノ(媒体)と目的の3者の相互作用を理解することだ、と捉え直してみる必要があるからです。

私たちは常に何かを理解しようとするときは、自分の既存の「認知モデル」をベースにするわけですが、そこには理解する側の目的と、理解の対象となる場や状況が深く関係しています。

人に何かを「質問」することも、質問の言語表現そのものが制約となると同時に、その意図・目的に応じて調査者側が「選択的注意」を働かしてしまい、歪んだ理解をしてしまう傾向があるのです。

また、聞かれる側もその「質問」の内容を中立的に応えているのではなく、相手が誰であるか、その状況が緊迫したものかといったことで、大きく当人の想起・記憶に影響が出てしまうわけです。

こうした歪みの認知プロセスは、常に私たちの周りの状況(場)に依存したものであり、それを「状況認知」と称しています。 実践の科学として認知科学を応用する際に、考慮すべきことは、この「状況認知」であり、そこでキーとなるのが、前述した「認知的制約」ということなのです。

(その3)能力の「評価」

■能力診断の問題点は何か

たとえば、営業力ということを個人の能力の問題としてだけでみるなら、これまでの能力観でもよいのです。顧客と接する場やチームでは、「潜在的な能力」や詳細なスキルでは、当人には何をどう改善してよいかイメージがわいてきません。
そこが、認知科学的な視点の必要なところなのです。

営業の仕事力の評価は、上司によるOJTで実際に立ち合う形で行われる場合もありますが、評価されている当人からすると普段の行動ではないはずです。

上司によく見せたいという「他者の承認」(太田薫)への動機が働いてしまうからです。ここが心理的な内面や能力を外部から“評価”するときの難しさです。これは営業だけでなく能力全般についていえることです。

そこで、一歩進んで評価の発想自体を変えてみるのです。
「評価」とは、当人が自己の行動を振り返り、より最適な行動を選び、自己の成長とつなげるためにするとみなすのです。このような自己成長の視点からの「評価」こそ、メタ認知を活かした評価観だといえます。

そして、このような視点を持てば、「評価」を自己目的にしてしまいがちな人事考課や学生の成績評価の在り方も改善することになるのではないでしょうか。

(その2)メタ認知の考え方

■仕事のカイゼンをする認識の方法とは?

仕事のカイゼンをするうえで、どのようにそのプロセスを見直したり反省したりすればよいのでしょうか?
ここでは認知科学で知られる「メタ認知」の方法を紹介しておきます。これは “知識”と“活動”の二つの面に次のように区分できます。
③ 「メタ認知的知識」=自己と他者の思考や記憶、感情の認知プロセスの知識
④ 「メタ認知的活動」=自己の認知プロセスを上から見渡す認識の仕方やコントロール

つまり、自らの知識・記憶の使い方や働きをモニターして、必要な場面で略図やメモしたりする認知プロセスをどこまで自覚するが大事な点です。認知科学者の佐伯胖先生はこのことを「略図化」と「視点の移動」の2つの概念を使い教育界などに応用してきました。

メタ認知は具体的には、略図や他者の視点を自分の中に取り入れることがポイントになります。つまり、自己の認知の枠組み(認知モデル)の限界や制約条件をいかに知るか、それを意識化することが重要だといえるでしょう。

■仕事の役割分担の意味するもの

もう少し具体的な仕事の場面でメタ認知を考えてみましょう。
企画書をプロジェクトとして協力して提案する場合なら、作成は書くこととモニターの両方を一人がします。ですが、それでは単純に個別作業になってしまうわけです。
ネットによるプロジェクトなどが増えている現在では、とくに複数の能力の違った人が強みを活かす仕事の仕方が重要となってきています。

それは役割を形式的に二人で半分に分けて書くような分担ではありません。2人のそれぞれの強みを活かすことにならないからです。それよりも、まずAさんが全体のラフ案を作成し、それを図解など得意で緻密な作業が好きなBさんがモニター(校正)しながら図を挿入していく、といった認知的な分担をすることがメタ認知を促すことにもなるのです。

こういう分担の仕方を私は「認知的コラボレーション」と呼んでいるのですが、それは各自の異なる有能性を最大化する「1+1=3」の分担方式といえます。この役割の分担方法は、状況によって入れ替わることもできます。そして、その役割の交代が固定していた自己のやり方を相手の視点(他者)から見直す機会、つまりメタ認知の活動ともなるのです。

ここで注目したいのは、自分のやっていることを別の視点から振り返る場面がある点です。別

しぐさの心理を理解するには「実践と理論の統合」がカギ!

■心理を学ぶことの難しさとは?
心理学ほど身近な学問は他にありませんが、同時に誤解と偏見に満ちている学問でもあることです。たとえば、心理カウンセラー達との研究会などに出席すると、根拠のない右脳左脳説を持ち出して心の説明に使ったり、自分の心理を他者に当てはめたりといったことが頻繁にみられます。
そして、彼らは心の専門家のように思われているようですが、自分の心の病を直すのに独学的に勉強してきたような人も実際には多いのです。むしろ、ビジネスマンのような一般人の心理分析などする能力は「?」かもしれません。これはカウンセラーという職業の難しさというだけではなく、何か根本的な問題があると考えられるのです?

■「理論と実践の統合」がしぐさの理解に不可欠
それは何かといえば、「理論と実践の統合」を理解していないことだと考えます。つまり、心理学は本では勉強していても、それを現実の中で実践していくプロセスでどう検証し、新たな問題意識をもったりして深く理解していくのか。こうした実践的な学びのスタイルを確立していないということが問題なのではないでしょうか。
しぐさの心理を理解するとは、まさに日常の行動の細かな観察を通じて、自己と他者の違いを理解し、そこに働く心の作用を知ることが不可欠です。その意味でしぐさの心理は実践と理論の統合をめざすことが求められるのだと言えます。

■理論のベースとなる「本を読む」ということの意義
ところで、あなたはどのくらい年間の本代を使っているでしょうか?
3万くらいであれば読んでいる方ですが、ある全国調査での平均では1万5千円程度でした。一方で米国での大学生は10万円程度です。そして、日本の学生はというと・・・1万円という情けない話なのです。
本を読むことはとても大切だと誰でも思っているわけですが、その情報を処理する「量」が絶対的に不足している状態なのです。もちろんスマホやPCでの情報収集はしています。しかし、その種の情報は断片であって思考を育てるにはバラバラな素材に過ぎないものといえるのではないでしょうか。
本を読まない問題性は、情報を組み立てて自分なりの仮説を作り実践の中でそれを検証していくという思考の基盤が欠けてしまうことにあります。論理的な文章を読む認知プロセスは著者との“対話”でもあり、これは認知科学が過去50年の歴史で最も深く研究されてきた内容です。本を読むことを通じて自分との“対話力”もついてくるのですが、その機会をもっていないという問題なのです。

しぐさでわかる心理とは?(1)

■“しぐさ”(身振り行為)を知ることで何がわかるか?

怒り・悲しみ・苦痛の多い経験は、それにふさわしい身振り行為の“しぐさ”を生み出します。
たとえば、成功体験を繰り返すことで、やはり成功にふさわしいしぐさが少しずつ身についてきます。ここがしぐさを理解し自己の望む方向に変えることの重要な視点なのです。

誰でも子供の頃に親から貧乏揺すりは止めなさいと言われてことがありますね。本当に貧乏になるかどうかはわかりませんが、この戒めには心理学的な意味があります。
そもそも“しぐさ”とは、厳密に言えば「慣習化された個人特有の行為・行動パターン」のことです。それを自覚することは当人には難しいもので、以外に人から指摘されて気づくようなことも多いものなのです。

たとえば、失敗したときに、”頭をかく”といった行為は日本人特有らしく、海外ではみられません。欧米などでは”オーマイガッド!”と言いながら頭を抱えたり、手を頭上に掲げたりはよくしています。このような国民性のあるしぐさなどの研究は、心理面だけでなく文化歴史的な要因を考慮していくことも必要なのです。

同じ”頭をかく”にしても、作家がそれをするのはカッコーがつくのですが、政治家や経営者がすると”小物”に見えて信頼を失うかもしれませんね。
つまり、しぐさが問題なのは、同じ行為であってもその人の印象が風貌、役職やキャラ(性格)、状況によって良くも悪くも感じられたりするものだということです。

そこで、私はしぐさを自覚して”在りたい自分”にふさわしい行為・行動へとつなげるようなしぐさ改善メソッドを提唱しています。それは望ましいTPOに合わせたしぐさ選択であり、意味ある行動の学習でもあります。

面倒に思われるかもしれませんが、このしぐさに注目すると”無意識”の自分や他者の心理を理解することができるメリットがあります。
口では仕事で協力するよと言っていても、実のところでは逆にうまく騙して利用だけしてやろうといった本音が見えてきたりするのです。

匠英一のソーシャル・メディア論(その7)

初音ミクが創り出す協働創作の革新(1)/ CoCM(Co-creative Media)

初音ミクはキャラクターとしての面と、歌声合成システムとしての「VOKALOID」の二つの面があり、「育てるゲーム」に近い感情経験をユーザに与えてくれます。

リアルの世界で、この方法で大成功しているのがAKB48です。

しかし、AKB48には初音ミクのように2次創作から3次、4次といった協働創作の仕組みはありません。それはデジタルであればこそできる話だからですが、私はこのような協働創作の在り方をCoCM(Co-creative Media)と呼んでいます。それに近い見方は2005年頃からマーケティングの用語としても「CGM」(Consumer Generated Media)と称していました。

これは消費者がWEBなどのメディアを通じた口コミの仕組みを意味していました。正確にいえば、それは口コミ情報を消費者がブログやSNSを通じて創り出していく、その情報収集と活用の仕組みとして注目されたものです。

情報を消費者が創り出す動画や音楽のコンテンツは、Youtubeやニコニコ動画の場で共有されて拡大してきたものです。その中でも「初音ミク」は特別な創作物であり、これまでの共有のレベルを越えるものでした。

とくにYoutubeと異なりニコニコ動画の動画共有の体験は、そこにリアルタイムに近いようなコメント共有による同じ場を共に共有しているような体験があります。ニコニコ動画のユーザは画面に流れる他のメッセージをみながら視聴しているのです。あたかも映画体験の場で直接文字を書き込むことで、誰もが後でその書き込みした時間をたどれ、そのコトバの臨場感を感じることを通じて一緒にいる感覚が生まれるからです。

これは現在、テレビでも同じようにツイッターのコメントをオンエアしながら見せる場面もあり、目新しいものではなくなってきていますが、初音ミクの協働創作の在り方はもっとダイナミックなものです。

初音ミクが創り出す協働創作の革新(2)/「N次創作」の意義

この点について、「N次創作」という視点から濱野智史氏は、初音ミクから派生する創作の特徴を次のように整理して述べています。

  • 初音ミクと人間が歌ったものをステレオ音声の左/右チャネルで比較する「比較してみた」作品。
  • 複数の「歌ってみた」作品を合成することで、仮想の「合唱」を制作する作品。
  • 「歌ってみた」と「演奏してみた」を合成することで、仮想の「バンド演奏」を制作する作品。
  • 初音ミク関連の絵移動作品を集めて、独自の集計基準(再生数・コメント数・マイリスト追加数)に基づいて作成された「ランキング番組」。
  • ニコニコ動画上で好評な楽曲をメドレーにして、アレンジを加えた「組曲」と呼ばれる作品。
  • 作品中に登場するキャラクタたちをオールスター的に集めて制作される「MADムービー」。

(引用:月刊「情報処理」pp490~491,Vol.53 No.5 May2012より)

初音ミクが創り出す協働創作の革新(3)/共感のマーケティング革新へ

Youtube上の多くのコンテンツは、ユーザはコンテンツを共有視聴はしても、それを2次、3次と創作しながら、派生作品を創り共有することはありません。初音ミクの流行についていえば、そのオリジナルの利用許諾権をフリーに近い形で制限して実質的にはオープンにしたことに原因があります。ニコニコ動画はまさにそれを促進する仕組みとして、「タグ(Tag)」の数を10個までに制限する方法によって実現したのです。

すでに初音ミクは単なるソフトではなく、多様なクリエータが自己の強みの部分で創作ができるプラットフォームになっています。イラストで好きな絵にしたり、3Dやアニメにデザインするなど多様な「創作の連鎖」を創り出す媒体になったといえます。

要約すれば、初音ミクの協働創作の仕組みは、あたかも「連歌」と同じように、ひとつの原作の歌から次々と編集追記されて新たな作品となって生まれてくるサイクルができていること。そして、それを口コミで共感する仕掛けがマーケティングの革新を生んだと云えるでしょう。

匠英一のソーシャル・メディア論(その6)

<モノの消費から「演劇的消費」への発展に向けて>

モノによって得られる“コト”へと消費はシフト

現在の消費行動がどう変わってきているかということについて、商品というモノ自体の消費ではなく、商品を通じて得られる経験、つまり“コト”へと消費へと移ってきていることは明らかです。

それはディズニーランド的な消費の場が盛況であることからもわかることですが、そこに高付加価値という言い方では説明できない心理のマーケティング発想が必要となっている理由があります。

第一には、消費者が得られる情報・モノがどれだけ量的に多いかよりも、質的に自分にあっているかがより重要視されるようになってきました。

自分らしさを演出できるようなモノにはこだわらず財布の紐を開くのですが、そうでないモノは逆に値引きと低消費の渦に巻き込まれてしまうのです。

高付加価値の内容が、その意味では自分化であり、自分ブランド化であるわけです。そのための交流の場が必要とされるようになり、ネット上でのコミュニティが盛況になってきました。フェイスブックはその要求にマッチしたわけですが、それはビジネス全体の流れからすると必然ともいうべきプラットフォームであったのです。

そして、情報交流の内容は相互の経験談や日常の会話に近いものであったわけです。

しかし、その中でとくに注目すべき動きがあります。

それがキャラクターを活用するコミュニケーションです。従来の企業が日本ハムの「ハム係長」のようなキャラクターを使って直接個人のユーザと会話するような場はありませんでした。それは企業側としても実験であり、日本ハムの法人としては特別な扱いでそれを許可したともいえます。

「演劇的消費」の意味するもの

このような消費行動の変化からいえることは、モノ自体よりもモノの背景にある物語を消費するという意味が、よりダイナミックな相互の対話的な場や演劇的な場に置き換わってきていることです。

そこにあるのは、これまでのおもしろいストーリの中に商品を置いて宣伝するといった「物語的消費」ではなくなってきています。なぜなら、そこには「楽しい」「共感」という感情の要素と同時に、“仮想”であってもリアリティのある世界が広がってきているからです。その典型としては、スマホを使って位置情報からお店で宝探しをしながらポイントをもらうというようなフォースクウェアの事例などがあります。

それはセカンドライフで言われていたような仮想世界の話ではなく、もっと現実の場に即した「ゲーミフィキケーション」をベースにするような、ネットからリアルへの連続的な場であり、そこでの「経験価値」が問われるものだといえます。

「経験価値」というキーワードはB・シュミットが、感情と思考のレベルを6つに分類して、その中でどんなマーケティング施策が顧客に最適かを示すものでした。しかし、その方法にはまだリアリティの点では不順分なネット経験しか与えられなかったため、さほど魅力的なサービス企画につなげることができませんでした。

いわば、具体性のある仕組みや道具立てがそろわないため、まだ理念や方法論が先行していた形だったわけです。

ところが、ここ5年間ほどでのソーシャルメディアとスマホ等の発達は、いつでもどこでもリアルな演劇的消費を促進できる環境を提供するようになりました。その結果として、消費者の在り方も受け身の消費を行う対象ではなく、開発や市場創りを担っていく参画型(CGM)の「消費=生産」へと変わってきています。

「演劇的消費」の意義

演劇は様々な立体的な道具を一つの場に集約させて全体を一貫したストーリに位置付け構成されているものです。そこには人の感動を多様な道具の網目の中で創造していくという立体的なデザイン性があるといえます。

つまり、「演劇的消費」とは人の感動を立体的にデザインしていく新しい消費モデルのメタファー(比喩)なのです。

一方で問題点としては、この演劇型というメタファーでは、BtoC型の個人客向けのようなイメージが強くなります。BtoB型の法人客向けのビジネスにおいて、それが意味するものが何かを明確にしておく必要があります。

そこで、BtoBの市場においての応用を考えるうえでのポイントを示しておきましょう。

  1. 法人客であってもそこに感情的要素が入ってくることに変わりはなく、とくに信頼性や合理的な選択プロセスの統合が求められる。
  2. 自社との付き合いが複数の人間関係をベースにしながら意思決定をすること。
  3. 取引に要する期間や準備のステップが大きく複雑となること。

これらの要件は、個人客には当てはまらない独自の法人客に関する課題です。それをネットの道具立てだけで解決できるものではありません。

法人客に対するネットとリアルの関係性が、ここでも問われるようになってきているからです。

「O2O」のネット戦略へ

こうしたネットとリアルの関係の問題については、戦略的な「O2O」(Online to Offline)が重要視されてきています。これは「クリック・アンド・モルタル」というコトバで従来は言われた課題でしたが、それとどこが異なるのかを明確にしておくと次のようなことです。

  1. ネット情報からリアル店舗への誘導が基本であって、その逆のプロセスは対象とされていなかった。
  2. そのネットやリアル店舗というのも、それぞれが単体であって複数のものではなかった。
  3. リアルとの統合は情報という単位であって、そこにプロセスとしての「経験価値」をデザインするという統合の発想はなかった。
  4. これまではBtoCの消費者モデルであって、BtoBの法人客のリアルとの連携は問題にされていなかった。

すなわち、O2Oでは消費のプロセスについて経験価値を創る視点から統合し、複数の送り手と受け手がダイナミックに交流していくものなのです。

そこではこれまで以上に、自己やブランドといった「こだわり」と「らしさ」が問われるようになってきます。

そこにこそ、「演劇的消費」の意義があり、今後のeマーケティングを発展させていくテーマが存在するといえるでしょう。